5月27日 親鸞聖人御命日の集いを開催しました
今回は先ず「葬儀」について、海法龍先生著の『誰のために葬儀を勤めるのか』によりながらたずねました。そして今日の『御文』(二帖目第六通)で課題となっている「掟」を通して、真宗の教えに触れた者は、教えを主張していくのではなく、柔軟に世間と歩んでいく姿を蓮如上人は願っておられたことを確かめました。
今日から『唯信鈔』に戻り、聖覚が述べることを学びました。今回のところは念仏往生にも専修と雑修に分かれ、専修がすぐれていることを明かしていく流れであったが、その中で雑修を勤める者の心を聖覚が言い当てていることに着目しました。そこで聖覚は、今までの慣習に捉われる、そして念仏と一緒に余の行を勤めて何の問題があるのかと思っている心を指摘しています。この聖覚の指摘に加えて、ただ念仏では不足を感じる心が雑修を勤める者にはあるのではないかということを確かめました。
次回の御命日の集いは、「仏具のおみがき」を行いますので、お力添えを頂ければと思います。