7月18日 写教の会を開催しました
今回から曇鸞章に入り「本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼 三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦」の所をみました。曇鸞大師が菩提流支と出会うまでの流れを確認したあと、菩提流支が曇鸞大師に言い放った言葉や、授けた教えについてみました。
授けた教えについては、天親菩薩の『浄土論』という見解を持つ方もいるが、今回は蓮如上人に倣って『観無量寿経』として考察しました。『観無量寿経』の「流通分」には、ただ南無阿弥陀仏と念仏して浄土へ生まれたいと願いなさいということが説かれます。善行を積み、心を静めたり道徳を守って立派になるのではなく、愚かな凡夫が南無阿弥陀仏一つで救われていく道が『観無量寿経』には説かれているのです。そこには、こちらから浄土へという方向から、浄土から衆生にという方向転換があるのです。曇鸞大師は仏教というものを、わかろうわかろうとしていたわけです。仏教というものをわかって救われようと考えて、わかるためには長生きしなければならないと真面目に思われたわけです。しかし、長生きするのが救いでもなければ、仏教をわかって救われるのではない事に曇鸞大師は菩提流支と出会い言葉を交わし、浄教を授けられたことで、気付かれたわけです。そして、仙経を焼き捨てたのです。その時の曇鸞大師の心情を、ある人は仙経を学んで得意になっていたことの後悔の念だと捉える方もいますが、それよりも、南無阿弥陀仏の教えに出遇えた喜びの感情だと思われます。
次回の写教の会は8月1日(月)14時~になります。お気軽にご参加ください。