2月13日 写教の会を開催しました

今回から三国七高僧の6番目に当たります、日本の源信僧都を讃える源信章に入りました。先ず源信僧都について見ますと、源信僧都は7歳の時にお父さんを亡くしておられます。
そして9歳の頃から師匠の良源の元で仏教を学び、13歳で出家して比叡山に上っておられます。そして、15歳の頃には時の天皇村上天皇に『法華経』を講じるほど優秀な方でありました。

この天皇に講義をした時に褒美として紫の衣や豪華な布施の物を沢山いただき、それをお母さんに送った時のエピソードが伝記として残っております。
源信僧都としては、天皇からこれだけのものを戴いた、ここまで出世したのだとお母さんが喜んでくれると思ったのですが、お母さんからは非常に厳しい言葉が返ってきました。
私があなたを比叡山に送ったのは、そういう名聞利養のためではなく、私のような愚かな者をも導いてもらうためなのだと。名利の衣を脱ぎ捨ててほしい。源信僧都はそのようなお叱りというか願いをお母さんから受けたのです。

このことを経て源信僧都は「予が如きの頑魯の者」という自覚に立たれたのです。『往生要集』は小一切経と称される程、あらゆる経典の言葉が引用されていますが、そこで明らかにしているのがただ一つ、弥陀の浄土に帰するということです。様々な法門があり様々なことを説いてありますが、全ては安養浄土に帰せしめるものだということを源信僧都が明らかにして下さったという讃嘆が「源信広開一代教 偏帰安養勧一切」です。

その具体的なお仕事が、次の「専雑執心判浅深 報化二土正弁立」になります。これは、専らなる方が執心が深い、雑なる方は執心が浅い。そして、執心が深い者が生まれるのが真実報土、執心が浅い者(自力のこころ、自分で善行を積めると思っている者)が生まれる浄土が方便化土ということを明確にして下さったのです。源信僧都は方便化土について、懈慢国、懈慢界ということを言います。これは、親鸞聖人も高僧和讃で「本師源信和尚は 懐感禅師の釈により 処胎経をひらきてぞ 懈慢界をばあらわせる」と謳っておられますが、この『菩薩処胎経』に説かれる懈慢界の姿とはどういうものかというと、非常に楽しい世界で、七宝で飾られた煌びやかな世界です。これは、実は自己満足を表すのです。この自己満足を源信僧都は名利心ということで押さえていくのです。
源信僧都の課題ですね。源信僧都はこの名利心がある限り、どんなに善行をつんだとしても無意味だとまで言い切るのです。

次回は3月13日(月)14時から写教の会を行いますので、お時間ある方は是非ご参加ください。