4月10日 写教の会を開催しました
今回から、七高僧の最後となります「源空章」に入りました。法然上人の伝記などを参照にその前半生の求道を見ました。法然上人は「智慧第一の法然房」と呼ばれたように、非常に優秀な方で、経典を読解し何度も読み返しておりましたが、自らが救われていくということがなかなかはっきりとしなかったのです。その法然上人を「本師源空明仏教」と親鸞聖人が讃えて、仏教を明らかにされたということは、法然上人ご自身が救われた道があったということです。それこそが、真宗の教えなのですが、法然上人は沢山の経典を読む中で善導大師の『観経疏』の一文に出会います。それが「一心にもつぱら弥陀の名号を念じて、行住坐臥時節の久近を問はず念々に捨てざるもの、これを正定の業と名づく。かの仏の願に順ずるがゆえに。」の一文です。この一文によって救いの道が明らかになったということがあるわけです。この一文によって、法然上人が救われていく道が開けたということは、単に法然上人一人の救いの道が開かれたということに止まらないで、全ての者の救いの道が明らかになったというのが、親鸞聖人の讃嘆の心かと思います。先程の「一心専念」の文の最後に彼の仏願に順じるとありますが、本願による救いが悪世という時代にひろまり、凡夫人という機に応じていく。法然上人が救われた教えは、個人の救いを超えて、凡夫という身、悪世という時を生きる者の救いであるという讃嘆が「本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人 真宗教証興片州 選択本願弘悪世」の句にはあります。
次回は5月8日(月)14時からになります。源空章の続きを見ていきます。