2月27日 親鸞聖人御命日の集いを開催しました

 今回の『唯信鈔』では、前回に続いて四つの問答の内の三番目について見ました。そこで問題となっているのが、現生において五逆罪をつくっている念仏者が救われるのは宿善があるからであって、現生では五逆罪を犯してはいないが宿善の無い自分は浄土往生できないのではないかということです。つまり、宿善の有無によって浄土往生が定まるのではないかという問題です。この問題に対して聖覚は、現生に罪を犯さないことは宿善があることの表現であるといい、素晴らしい心はないが五逆罪を犯しておらず、今や阿弥陀仏の本願を深く信じて念仏申す姿が大事なのだと説き、宿善が無いと悩む者を諭しておられる。
 聖覚は五逆罪をつくっていない者を「われら」と呼んでいるが、親鸞聖人は殺生という罪を犯さざるを得ない者たちを「われら」と呼び、本願念仏を味わわれた。また、親鸞聖人は宿善というような宿世のことをほとんど語られなかったことについては改めて考えていきたい。
 3月は春の彼岸会がありますので、御命日の集いは休会になります。次回は4月27日になります。