今回は『歎異抄』第三条に説かれる「煩悩具足のわれら」という言葉について、「われら」という親鸞聖人に自覚や、煩悩を仏教はどのように捉えるのかなどを中心にたずねていきました。
 次回で第三条を読み終えればと思っております。8月5日(水)14時からを予定しておりますので、是非ともお参りください。…

 今回は前回に引き続き第三条に学びました。前回は善・善人を中心に見ましたが、今回は悪人、特に「他力をたのみたてまつる」ということはどのような者なのかを、『観無量寿経』の韋提希夫人の言葉などによりながら確かめました。 
 今回は日程変更等でご迷惑をおかけしました。…

 今回から第十観音観に入りました。観音菩薩の身や装飾品の特徴や具体相が説かれる中で、多くの化身の仏・菩薩・諸天人があると説かれます。それは、観音菩薩の慈悲を表していることを確かめました。
 次回は引き続き第十観音観について見ていきます。…

 今日の『御文』四帖目第十一通は「機法一体」ということが主に語られております。南無阿弥陀仏の六字を、南無阿弥陀仏の南無をたのむ機、阿弥陀仏をたすける法とに分けて二字四字の一体として説かれる場合と、六字全体が機であり法であるとする六字六字の一体を示す場合があることを確かめました。
 また『一念多念文意』では、源信僧都の『往生要集』の文と、『大経』下巻流通分の弥勒付嘱の文を親鸞聖人がどのように解釈しているのかを見ました。次回は「則」の解釈を見るところからはじめたいと思います。
 6月の御命日の集いは、仏具のおみがきを行いますので、是非お力添えをお願いいたします。…

 今回は第九観の後半部分を見ました。特に、真身を観ずることは仏の大慈悲心を観ずることであるということに着目して、すべての衆生を救い遂げるという願心が仏の相に表れていることを確かめました。
 次回は第十観に入っていきます。…

 今回から第三条に入りました。原文意訳を読み、今回は「善」「善人」ということを仏教や親鸞聖人の眼ではどのように捉えているのかを見ました。
 次回は「悪」「悪人」ということをたずねていきたいと思います。…

 今回の『一念多念文意』は、現生護念の益を説く善導大師の『観念法門』の文を親鸞聖人が具に解釈しているところを見ました。特に「護」の字に着目して、護念の意味するところや、何を護るのか、何から護るのかを確かめたことを通して、自力のはからい、自力のこころを持つ自身の危うさが常にあることを確かめました。
 次回は源信僧都の文に入っていきますので、是非ご参加ください。…

 今回から第九真身観に入りました。その前半部分に説かれる「一一の光明遍く十方世界を照らす。念仏の衆生を摂取して捨てたまわず。」という言葉に着目して、親鸞聖人のご和讃や、善導大師が説く「三縁(親縁・近縁・増上縁)」について見ることで、阿弥陀仏のはたらきと衆生の関係について確かめました。
 次回は第九真身観に後半部分について見ていきますので、是非ご参加ください。…

 今回は第二条の「いずれの行もおよびがたき身」ということと、「弥陀の本願まこと」から始まっていることの意義を中心に確かめました。今回で第二条を読み終えますが、第二条は身命を顧みずに親鸞聖人に教えを聞きにきた方々に、親鸞聖人も精一杯本願の教えを説いている貴重な条ですので、私たちも真摯に聞思していきたいと思います。
 次回から第三条に入りますので、是非ご参加ください。…

 昨年の盂蘭盆会法要、秋の彼岸会法要に引き続き『涅槃経』に説かれる阿闍世王救済物語をみました。今回は月愛三昧の光明を身に受け、瘡が癒えても尚残る父を殺害した罪による堕地獄への不安を胸に抱えながら釈尊に会い直接教えを聞く場面を「罪」をテーマに考えました。
 「六師外道」の教説や、神道、キリスト教がどのように罪を考え、その罪にどう向き合っていくのかを確かめたあと、釈尊が阿闍世王に説いた仏教において「罪」をどう捉えるのかを見ました。
 今年の盂蘭盆会法要では、阿闍世王の回心について見ていきたいと思います。…