10月19日 写教の会を開催しました
第7回目となる写教の会を開催しました。今回から本番の「書写 正信偈」を書き始めるにあたり、この書写本は旧字体のものが多々あるので幾つかの漢字の筆順を先ず確認しました。筆順の確認は今後もしていきます。
そして、正信偈の学びとして釈迦章の「摂取心光常照護 已能雖破無明闇 貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天」の4行について見ました。殊に「常照」と「常覆」に注目しました。
決して私を見捨てないという阿弥陀の願いが光として常に照らし我が身を護っている一方で、常に貪愛瞋憎という煩悩が真実信心というものをはっきり見えなくさせている。この二つの「常」が自覚される。これが念仏申す者の自覚の歩みです。この常ということについて親鸞聖人は「常照は、つねにてらすともうす。つねにというは、ときをきらわず、日をへだてず、ところをわかず、まことの信心ある人をばつねにてらしたまうとなり。てらすというは、かの仏心のおさめとりたまうとなり。」と言っています。常というのは私が何をしている時もということです。私の日常生活を包み生涯を包むということです。先ほど念仏者の歩みということを言いましたが、常に大慈悲心を感じ常に煩悩具足の身の事実を感じていくということです。私たちは縁によって起こった煩悩を縁として、また改めて弥陀の大悲に出会っていくのです。
念仏申しても、すっきり晴れたと言わせない、雲霧がかかってすっきりしない。そういうところに身の事実に立つ真宗の教えの大事なところがあるのだと思われるわけです。
次回の写教の会は11月9日14時~開催予定でおりますので、お気軽にご参加下さい。