エントリー - 名響寺

1月13日 写教の会を開催しました

今回は「散善顕行縁」のところを見ました。韋提希夫人の阿弥陀仏の世界に生まれたいという願いを聞いた釈尊は、微笑まれます。それは、ご自身が本当に説きたかったことを伝える縁が整った事を表しているのでしょう。そこで釈尊は先ず散善(散り乱れた心でも行える善行)について説きます。具体的には三福(世福・戒福・行福)が語られ、三世諸仏はこれらの善行を修めたのだと韋提希夫人に説かれます。
 次回は2月10日(月)14時から開催しますので、是非ご参加ください。…

1月8日 『歎異抄』輪読会を開催しました

 今回は前回に引き続き『歎異抄』第十三条について見ました。前回は宿業ということについて学びましたが、今回は「本願ぼこり」についてテキストを読みつつ考えて行きました。唯円は「本願ぼこり」を批判する者を異義と見ていますが、それは批判する者の善人意識に問題があると捉えての歎きでした。一方、文面では「本願ぼこり」を擁護するように見えても、自らの思いはからいで悪を造ろうとする者も、その実は善悪を自らが掌握しているという無明性を抱えているのだと教えていただいた。
 次回は2月5日(水)14時から開催いたします。第十四条を見ていきますので、是非ともご参加ください。…

1月1日 修正会を厳修いたしました

式次第…正信偈草四句目下、念仏讃(三淘)弥陀成仏のこのかた次第六首、回向(願以此功徳)、御文(五帖目第二十二通)
 昨年の能登の地震が、年の始めに集まり共に勤行し共に聞法できるということが、いかに稀有なことであるかを感じさせてくれます。毎年修正会では、真宗の生活を確かめることを大切にしておりますが、今年は念仏と恩ということを、冊子『真宗の生活』に載っている二編から学びました。南無阿弥陀仏と念仏申すことの他に自らが生きていける道はない。そこには、自身の愚かさに立たしめられるからであり、そこに恩ということを感じてあゆむ道が与えられる。念仏を申し日々の生活のなかで阿弥陀さんと共に生きることは、愚かさに気付かされながら感謝のこころを持ってあゆむことなのだろうと思います。
 今年度も共に念仏を申しながら念仏の教えに学んでいきましょう。本年もよろしくお願いいたします。…

1月 行事予定

1月1日(水)11時~修正会
 法話:長尾朋聡(名響寺代表)
 勤行の後、新年が始まるにあたり改めて真宗門徒の生活とはどのような営みなのかということについて、教化冊子『真宗の生活』によりながら考えていきたいと思います。…

12月27日 親鸞聖人御命日の集い-仏具のおみがき-を開催しました

今年度最後となります、親鸞聖人御命日の集いを開催しました。先ず今日の『御文』で三帖目第十二通で説かれる、宿善の有無をどのように受け止めるかを見たあと、前回に引き続き『御絵伝』の後半部分について読み解いた。特に、山伏弁円の場面に着目して、親鸞聖人が自らを殺そうとしにきた弁円を穏やかなお顔で迎えたことと、その姿に武器を捨てて親鸞聖人の教えを聞く者になった弁円が、後に親鸞聖人の帰りを待つ今の自分と、親鸞聖人を殺害しようとした過去の自分を思い「山も山 道も昔に 変わらねど …

12月9日 写教の会を開催しました

 今回は欣浄縁と呼ばれるところを見ました。釈尊を目の前にして愚痴をこぼした韋提希は、憂い悩むことのない世界に生まれたいと願います。それに応えて、釈尊はさまざまな仏がたの世界の姿を韋提希に見せます。それを経て韋提希が願ったことは阿弥陀仏の世界に生まれたい、そして、極楽世界の姿を思い描く方法と観が成就する方法を授かることでした。
 次回は1月13日(月)14時からを予定しております。休日になりますので、変更があった場合にはホームページにてお知らせいたします。…

12月4日 『歎異抄』輪読会を開催しました

 今回は第十三条で説かれる「宿業」について見ました。宿業は決して運命論のような悲観的なものではなく、今、ここに私としてあることを受け止めましたという安定感を表していると学びました。
 次回も第十三条についてみていきます。開催日が第1水曜日ではなく、第2水曜日の1月8日(水)14時からとなりますのでよろしくお願いいたします。…

12月行事予定

12月4日(水)14時~ 『歎異抄』輪読会
 武田定光著『なぜ?からはじまる歎異抄』の第十三条について見ていきます。…

11月11日 写教の会を開催しました

 今回は「厭苦縁」とよばれるところを見ました。ここでは、わが子によって幽閉され苦しみやつれはてる韋提希夫人が、釈尊に来ていただくのは恐縮なので目連尊者阿難尊者に来て欲しいとの願いに対して、釈尊が説法を止めて自ら韋提希夫人の前に来るという場面が説かれます。そして、釈尊を目の前にした韋提希夫人は、瓔珞を捨て妃ではなく1人の人間として、自らが抱えている本心を釈尊に向かってぶつけます。
 釈尊がわざわざ説法を止めてまで韋提希夫人のところに来た意味や、韋提希夫人の本音を通して、人間の持つ我が身一つがかわいいという姿について考えました。
 次回は12月9日(月)14時からとなります。是非ご参加ください。…

11月6日 『歎異抄』輪読会を開催しました

 今回は『歎異抄』第十二条について見ました。第十二条では、往生の要を学問(学文)するかどうかにかかっているという異義が取り上げられます。真宗では本願の教えを聞くことを大事にします。聞法の期間が長くなるにつれて、様々な経文にであい、様々な解釈があることを知っていきます。知識がふえることは尊いことですが、次第に本願のこころよりも獲得した知恵を誇って生きるようになる危うさもあるかと思います。聞法することは、常に本願のこころを聞いていくことが肝心なのでしょう。愚かな身と知らされ、その愚かな者を救おうと立ち上がられた願いを、これからも聞き訪ねていきたいと思います。
 次回は12月4日(水)14時からとなります。第十三条について学んでいきます。…