秋の彼岸会によせて

緊急事態宣言が延長されたことを受け、名響寺秋の彼岸会は内勤めにて厳修させていただきました。こちらに彼岸会によせた文章を載せますのでご一読いただければと思います。

皆さまはコロナウイルスワクチンを接種されたでしょうか?先日、日本人の半分以上が二回目の接種を終えたという報道を耳にしましたが、その中でワクチン接種をした方はホテルに割安で宿泊ができるということも伝えていました。日本ではまだ企業だけのことですが、ワクチン接種者への優遇が始まっています。海外に目を向けると、いわゆるワクチンパスポートというものをめぐる議論が盛んに行われているようです。例えば、ニューヨークやハワイでは実際に政策としてワクチンパスポートが導入された一方で、フランスではワクチンパスポートは差別につながるとしてデモがおこっていました。ワクチン接種の強制、或いはワクチン接種をしない人はおかしいという偏見が助長される恐れのあるワクチンパスポートは日本でも今後議論がなされると思います。このワクチンパスポートをめぐる差別の議論、あるいは、昨年から続くヘイトクライムのニュース映像を見ると、コロナウイルスというのは人間が持つ「差別性」を露わにしたウイルスでもあると言えるのではないかと思います。

ウイルスと差別という事でハンセン病が思い起こされます。私は以前東京都東村山市にある多摩全生園、国立ハンセン病資料館に伺ったことがあるのですが、その際に差別偏見の恐ろしさや惨さを感じました。このハンセン病は様々な呼ばれ方をするのですが、その中に「業病」という呼び名があります。これは、ハンセン病に罹ったのは前世に悪い行いをした報いだという、因果の道理を説く仏教の思想から出てきた呼び名なのです。仏道をあゆみハンセン病の症状と差別に苦しむ人々と共に生きようとする者が、逆に手を離してしまったことを物語る呼び名が「業病」です。真宗でも『歎異抄』第十三条に「宿業」という言葉が出てきますが、それを他者に向かって言い放つとき、それは鋭利な刃物となり相手を深く傷つけるのでしょう。本来「宿業」という言葉は、外への言葉ではなく、自らの内なるところで頷いていく言葉なのです。阿弥陀仏の光が苦悩の身を照らしてくださり、照らしてくださったことのうえに阿弥陀仏の大慈悲の心を感じて生きていく、自らの業というものを引き受けていくという力強い言葉なのです。人は誰にも代わってもらうことのできない苦しみ、悲しみに縁によってあっていかなくてはなりません。『歎異抄』は親鸞聖人が阿弥陀仏の慈悲を身に受けたことを「そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と述懐した言葉を私たちに残してくださっています。宿業の身を生き抜いていく姿がここにあります。彼岸会を縁にあらためて阿弥陀仏の大慈悲を念仏申すことを通して感じていきたいと思います。

緊急事態宣言が解除されれば、10月24日は14時から報恩講を厳修する予定でおります。是非お参りくださいませ。