11月8日 写教の会を開催しました

今回は「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定」について特に憶念の語に着目して見ました。

「阿弥陀仏の本願を憶念する」とあります。念仏申す者をおさめとって決して見捨てない願いを憶念する。憶念というのは「深く思う」ということですが、「憶」の字に「恒に意の中にあると」いう意味があります。親鸞聖人はこの憶念をどのように押さえておられるかと言いますと、真実信心として押さえておられるのです。『顕浄土真実教行信証文類』には「淳心すなわちこれ憶念なり。憶念すなわちこれ真実一心なり。」とあります。淳心というのは、混じりけのない心ということです。混じりけが有るとは簡単にいえば人間の思いはからいが混じってくることを言うのです。特に言われるのが名利心と罪福信です。これらが混じることがないというのは敢えて言えば仏のお心、阿弥陀仏の大慈悲心ということです。憶念というと、自分が深く思うということですが、単に私が阿弥陀仏の本願を深く思うというよりも、おさめとって決して見捨てないという願いが私一人にかけられていることを思うと言ったほうが親鸞聖人の意に適うのではないかと思います。私のために本願を建てて下さった、つねにものうき事無く私を心配しておられる阿弥陀仏の大悲心を思うということです。

そして「自然にそして即の時に必定に入る」と続きます。弥陀の本願を憶念するというところに、自然に、そして即時に必定に入ることを龍樹菩薩は明らかにして下さっていると讃嘆されているのです。自然も即時も阿弥陀仏の本願力、他力のはたらきを表しております。阿弥陀仏の本願力によって、必定つまり仏に成る位に定まるのです。前回見た言葉で言えば、不退の位に定まるということです。自分の力ではなく阿弥陀仏の本願力によって不退の位に定まるというのが、易行道と言われる仏道の具体相なのです。

次回は12月13日(月)14時~開催する予定でおります。