5月16日 写教の会を開催しました

今回は天親章の「得至蓮華蔵世界 即証真如法性身」の1句について見ました。特に阿弥陀の浄土をあらわす「蓮華蔵世界」という名の「蓮華」に着目しました。蓮華は淤泥華とも呼ばれますが、曇鸞大師は、

「淤泥華(おでいけ)」とは『経』(維摩経)に言わく、「高原の陸地(ろくじ)には、蓮華を生ぜず。卑湿(ひしつ)の淤泥に、いまし蓮華を生ず。」これは、凡夫煩悩の泥の中にありて、菩薩のために開導せられて、よく仏の正覚(しょうがく)の華を生ずるに喩(たと)う。

というように押さえておられます。この曇鸞大師の言葉を見ますと、蓮華は「卑湿の淤泥」つまり「煩悩」をこそ命の場として咲く華ということです。私たち一人一人が抱える煩悩というところに根を下ろしそこを場として覚りを開かせるのです。他の仏教では煩悩を除こう除こう、清らかになっていこうとするのですが、真宗では煩悩の捉え方が全く異なるのです。煩悩というところに阿弥陀さんの全ての者を救い遂げる願い、智慧と慈悲を微かに感じていくということです。煩悩を断てない悲しみの上に阿弥陀さんの慈悲をかたじけないと頂いていくのです。

次回の写教の会は6月20日(月)14時からを予定しております。お気軽にご参加ください。