10月10日 写教の会を開催しました

今日から道綽章に入りました。最初に道綽禅師について確認しました。道綽禅師が生きられたのは562年~645年です。道綽禅師は14歳で生活のために出家しますが、廃仏毀釈政策によって16歳で還俗させられます。その後隋の時代になり21歳でまた出家をします。それから道綽禅師は『涅槃経』を熱心に学ばれます。『涅槃経』を何回も講義をするほどにまでなりますが、自分の中ではっきりしないものがあったようです。それが、たまたまかつて曇鸞大師が住まわれた玄忠寺を訪れた際に曇鸞大師の生涯を記した石碑の文を見て浄土の教えに帰したと伝わっております。

そして浄土の教えに帰して著したのが『安楽集』です。『安楽集』の書き出しで、教・時・機とが相応しなければ修道に功がないのだと語られます。この『安楽集』は親鸞聖人がこの正信偈でも和讃でも讃えておられるように聖道門は覚り難い。ただ浄土門のみが自分が救われていく道だということを明かしているのですが、その決め手となったのが時機の自覚です。『安楽集』に「大聖遥遠」という言葉と「理深解微」という言葉が出てまいります。最初が「時」の自覚でこの世は末法なのだという自覚です。教行証の中で教えのみがある時代です。そして次の言葉が「機」の自覚です。機というのは仏教では人間を指す言葉ですが、特に道を求める人間です。人間が仏教の深い真理を理解する力がまことにわずかであるという自覚です。この時機、末法の世を生き愚かであるこの身に相応する教えは浄土門しかないのだ。こういう決着が道綽禅師にはあり、そこに立脚しておられるのです。そのことを親鸞聖人は「道綽決聖道難証 唯明浄土可通入」と讃えておられるのです。

次回は11月14日(月)14時からを予定しております。お気軽にご参加ください。