12月12日 写教の会を開催しました

今日から善導章に入りました。普段お勤めする正信偈ですとここから調子が変わります。その「善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪 光明名号顕因縁 開入本願大智海」について見て行きました。最初の「善導独明仏正意」というのは、古今楷定の事を言っております。善導大師は主に『観無量寿経』について深く訪ねられた方ですが、『観無量寿経』という経典の正意というものを明らかにしたというのが大きなお仕事です。古今楷定とは、『観無量寿経』は、教え(定散二善)の通りに仏道を実践していくことのできる人(聖人)の為に説かれるのが中心であって、教えの通りに実践もできない、教えに背きながらしか生きていけない凡夫にも語りかけられているという「本為聖人・兼為凡夫」の経典であると善導大師以前は了解されていました。しかし、善導大師はそうではなく、仏陀の心は「本為凡夫・兼為聖人」なのだと、教えの通りに生きられない凡夫の救いこそ『観無量寿経』を説かれた仏の本当の心なのだとしたのです。親鸞聖人はそこに感動して「善導独明仏正意」と讃えておられるのです。

仏の心というのは、「矜哀」の心なのです。哀れみ悲しむ心、大悲の心です。次に「矜哀定散与逆悪」とあります。先ほど、「本為凡夫、兼為聖人」といいましたが、仏の心としては人間に善人悪人などという別などないのでしょう。この定散というのは定善散善の二善を修めることのできる人です。定というのは息慮凝心、散というのは廃悪修善を言います。定善というのは出家者の善。散善というのは在家者の善ともいわれます。そして逆悪というのは五逆十悪の悪人を言うわけです。その善人悪人皆ともに慈しみ、全ての者を救う仏道が光明名号をもって成就された仏道であることを「光明名号顕因縁」と謳っておられます。阿弥陀の名号、南無阿弥陀仏を因とし阿弥陀の光明を縁として、「本願の大智海」に入るのだと。人間の理知分別を超えた世界に入っていく。そういう世界を善導大師が明らかにしてくださったのです。

次回は2023年1月16日(月)14時からになります。少しでも興味がおありでしたらお気軽にご参加ください。