6月12日 写教の会を開催しました

 今回は「正信偈」の最後、所謂「結勧」と呼ばれる「弘経大士宗師等 拯済無辺極濁悪 道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説」について見ていきました。
 最初の2句から尋ねていきますと、「弘経」は『大無量寿経』、具体的には本願念仏の教えが弘まったということです。そして「大士」というのは七高僧の中の龍樹菩薩と天親菩薩の事を指します。そして「宗師」は曇鸞大師、道綽禅師、善導大師、源信僧都、源空上人を指します。その後の「等」は無数の念仏者を表しております。そして、「拯済無辺極濁悪」の「拯」も「済」もすくうという意味ですが、特に「拯」は水を両手で拯うように苦悩に沈む者を掬いあげる意味があり、「済」は越えられないところを越えさせる、渡すという意味があります。苦悩の衆生を摂め取って、浄土に生まれさせる阿弥陀さんのはたらきをあらわしております。この2句は、七高僧、そして無数の念仏者が各々の縁によりながら阿弥陀さんの願いに出遇い南無阿弥陀仏と念仏申して生き抜いてくださったことで教えが弘まり、無辺の極濁悪に沈む衆生、つまり愚かな身と末法の今を生きる私たちに本願念仏の教えが届いたとを讃えておられるのだと思います。
 続く2句は、勧めというか親鸞聖人の願いと言っていいかと思います。「道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説」というのは、出家者も在家の者もその時代、社会の苦悩を生きる者が共に、七高僧と無数の念仏者が各々の生涯を生ききったように、その時代を生きる者たちが阿弥陀さんの願いを聞信し念仏申して生きてほしい。それが「正信偈」の最後に謳われているのだと思います。

次回

 次回は7月10日(月)14時から、『仏説阿弥陀経』を書写していきたいと思います。
 お気軽にご参加ください。