7月13日 名響寺盂蘭盆会法要を厳修しました

式次第

先、伽陀 一、『仏説阿弥陀経』 一、正信偈同朋奉讃 一、『御文』一帖目第二通

法話「祖先と諸仏」

 今回は東本願寺が毎年出版しているお盆の冊子に書いてある、「真宗門徒にとってお盆とは」の文章に、「浄土真宗の門徒は、亡き人を「諸仏」といただいてきました。 諸仏とは、私たちを人間としての真実の生き方へと導いてくださる仏さまのことです。 私たち真宗門徒にとって「お盆」とは、亡き人から案じられている我が身であったことに気づき、 あらためて、人間として賜ったいのちや生きる意味を問う″聞法”の機縁なのです。」と書いてありますが、そうだと頷けますでしょうか。
 この前読んでいた本に「けれども」をどちらに付けるかという事が問題だという事が書かれていました。真宗の話をよく聞かせてもらって、何となくではあるがお寺等で話を聞いた時には頷けることがある。けれども、世間事としてはそうはいかないというような形で、世間の方に座ってしまう。私たちの生活の場では日柄や方角、姓名判断などなんら根拠のないものに左右されることがあります。普段気にしていない人でも、子どもが産まれていざ名前を付けるとなると、姓名判断をしたくなる。真宗ではそんなことを気にする必要は全くないという「けれども」そういうことをせずにはいられない。或いは、真宗では良時吉日を選ばないのは知っている「けれども」やっぱり大安にします。或いは、真宗では通夜葬儀でお塩を使うことはしない「けれども」お塩を用意しておかないときまりが悪い。このように、真宗の教えを聞き知ってはいても、けれどもと言って、世間他宗のところに身をおいてしまう。そうではなくて、けれども、を逆にして、世間では大事な日は大安を選んでしまう「けれども」真宗門徒の私はそれを気にすることはないというように、世間のほうに「けれども」を付けることが、仏法を聞くということだと書かれていました。そのような「けれども」という問題の中で、最もよく話題になるのが、いわゆる先祖供養のことでないかと思います。冊子の文章の通りに頷けるかということです。そして、先祖供養というような形で身近な人の死と向き合うのと、諸仏ということで向き合うのとでどう違うのかということを尋ねてみました。
 今、けれどもの話をしましたが、親鸞聖人のご和讃に「かなしきかなや道俗の 良時吉日えらばしめ 天神地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす」という正像末和讃がございます。親鸞聖人のご時世も、道俗ですので、出家の者も在家の者も皆、良時吉日、時を選び日を選ぶ。天神地祇、天の精霊地の精霊といったものに従属し、占いをして祭祀、霊を祀って除災招福を祈願していく生き方を人々はしていたのです。その生き方を親鸞聖人は「かなしきかな」と痛んでおられます。無明、明るさの無い生き方、それを悲しみとも思わない生き方を、共に痛んでおられます。
 そういう日を選び、天地の精霊に従属し、占いで人生を決め、除災招福を祈る。その生き方の根底にあるものは何でしょうか?皆さんがそういう日時や占いや神様に祈る時はどのような時で、どのような思いからでしょうか。少し自分の中で考えてみますと、自分の思い通りにならないこと。不如意なるものに出会った時、或いは思い通りにしたい時などで、そこには、自分の思いとは異なる恐怖、自分の思い通りにしたいという要求、総じて我が身一つがかわいいというものがあるように思います。責任転嫁という思いもあるかもしれません。自分の身に良くない事がおこったのは、何か不明な原因、自分の範疇を越えた何かの仕業があると思ってしまう。自分の身を守るために、なにか不可思議なものに依存してしまう。そういうような心根があるのではないかと思います。
 私たちは、いわゆる自我というところでしか生きていないために、いつでも自分以外のものに寄りかかって自分を支えていこうという生き方になっているのではないでしょうか。いつでも何か不都合なことに出会えば、自分をこのようにしている何かがある、自分の運命を操っている何かがあるという意識でしか考えられない。そういう体質が責任を放棄した生き方、不可思議なものに祈願して返ってそれに縛られていく生き方で生きていく。こういう生き方は、明るさがないのだということは、教えに照らされてはじめて知らされることです。日を選ぶこと一つを取っても、そこに縛られていくわけです。何か悪いことが起これば、それを守らなかったからだと。自分の思い通りにしたい、或いはならない恐れはとても根深い我愛なのです。
 そのように、色々なものに縛られて生きていく生き方は、明るさが無いのだ、色々な不都合を受け入れる勇気を賜る教えがあるぞと、阿弥陀さんの前に座らせるのが、諸仏のはたらきです。それが、親しかった亡き人であり、祖先であると冊子には書いてあります。この冊子の言葉の元は、親鸞聖人の祖先との向き合い方です。
 祖先という問題ですが、ご存知の方も多いでしょうが、親鸞聖人はその著述のうえに、先祖祖先ということばは一度もおっしゃらない。ましてや、祖先崇拝先祖供養ということは少しもおっしゃらないのです。このことが話に上がると、親鸞聖人は祖先を大事にしない人の道をはずれた方だった、真宗は祖先を大事にしないということを皆思うのです。しかし、決して親鸞聖人は祖先を大事にしなかったわけではないです。幼い頃に両親を亡くした親鸞聖人は、よほど追慕の念があったと思われます。それでは、親鸞聖人にとって祖先とは何であったか。それが繰り返しになりますが、諸仏ということなのです。諸仏としてご先祖と対面することが、真に祖先を拝むことなのだと親鸞聖人は私たちに教えて下さっているのです。諸仏とは、冊子にありますように、教えに導く仏さまです。はたらきと言ってもいいかもしれません。つまり、亡くなったから人の上から教えを聞く時、私たちにとって諸仏です。ということは裏を返せば、教えを聞くことがなければ天地の精霊と変わらない。法事も祭祀となってしまう。敢えていえば、そうなってしまうということでしょう。今は亡き方、祖先と諸仏として対面できるか。このことは真剣に考えなければならないことかと思います。
 では、教えに導く諸仏として祖先と対面するとはどのようなことなのでしょうか。それは、亡くなった人が生ききって下さった姿を偲び、阿弥陀さんの前に自身が身を置き南無阿弥陀仏と念仏申すことだと思います。生老病死、これは四苦といわれますが、人生ですね。生まれたからには、老い・病に罹り・そして亡くなっていくということ。これは人間にとって不都合で不如意なことですが、厳粛な事実なのだと姿として残してくださったことを大切な縁とする。「四門出遊」というお釈迦様が29才の時に出家し仏道をあゆむきっかけとなった話が伝わっております。それは、東の門で老人、南の門で病人、西の門で死の葬列、に出会い自分も縁によってそうなる身、無常の命を生きていることが問題になり、そして北の門で求道者に出会うことで王の位を捨てて出家するという物語ですが、最近その姿を釈尊に見せた方がいるということが大事なことだと思っております。釈尊に老いの姿を見せ、病に苦しむ姿を見せ、そして死ということを見せた方があって、はじめて釈尊は自分の命、生まれた事を問うことになったのだと思います。そして、先に道を求めた姿を北の門で見る。これは釈尊当時でいえば、命を慈しみ大事にする方ということです。今、真宗で言えば念仏者です。御本尊の前に座り南無阿弥陀仏と念仏申す姿、南無阿弥陀仏と念仏申す声がとても大切だと思うわけです。歌人の吉野秀雄さんという方が 
「在りし日の 母が勤行(つとめ)の正信偈 我が耳底に 一生(ひとよ)ひびかん」
という歌を残して下さっております。この歌が、表しているのは、亡き人が今を生きる私を亡き人に、念仏申す姿と声を残して下さったということです。そして、吉野さんご自身も、お母様と同じように、お内仏の前に座り阿弥陀さんと対面する生活をなさったのではないかと思います。
 今回は亡き人とどのように対面するかを改めて問い、南無阿弥陀仏と申す姿の大切さを確かめたことでした。親しかった亡き方、祖先を諸仏として対面する時、それは共に満たされる仏道に立ったということなのだと思います。