11月11日 写教の会を開催しました

今回は「厭苦縁」とよばれるところを見ました。ここでは、わが子によって幽閉され苦しみやつれはてる韋提希夫人が、釈尊に来ていただくのは恐縮なので目連尊者阿難尊者に来て欲しいとの願いに対して、釈尊が説法を止めて自ら韋提希夫人の前に来るという場面が説かれます。そして、釈尊を目の前にした韋提希夫人は、瓔珞を捨て妃ではなく1人の人間として、自らが抱えている本心を釈尊に向かってぶつけます。
釈尊がわざわざ説法を止めてまで韋提希夫人のところに来た意味や、韋提希夫人の本音を通して、人間の持つ我が身一つがかわいいという姿について考えました。
次回は12月9日(月)14時からとなります。是非ご参加ください。