
今回は宝楼観と呼ばれる第六観について見ました。ここでは、浄土の楼閣には無量の天人がいることや、楽器が宙に浮かび、自ずと音が奏でられるというように描かれています。自ずと奏でられる音の響きは三宝を念ずと説かれるとあることは、先月見た宝池観で鳥の声が三宝を念ずることに通じています。仏、法、僧を念じることを欠いてお浄土の世界はないということでしょう。
次回は観想のなかでも特に大切な第七華座観について見ていきます。11月10日(月)14時からの開催を予定しておりますので、是非お気軽にご参加ください。…
今回は宝楼観と呼ばれる第六観について見ました。ここでは、浄土の楼閣には無量の天人がいることや、楽器が宙に浮かび、自ずと音が奏でられるというように描かれています。自ずと奏でられる音の響きは三宝を念ずと説かれるとあることは、先月見た宝池観で鳥の声が三宝を念ずることに通じています。仏、法、僧を念じることを欠いてお浄土の世界はないということでしょう。
次回は観想のなかでも特に大切な第七華座観について見ていきます。11月10日(月)14時からの開催を予定しておりますので、是非お気軽にご参加ください。…
9月3日(水)14時~ 『歎異抄』輪読会
武田定光著『なぜ?からはじまる歎異抄』の流罪記録について見ていきます。…
今回は、盂蘭盆会法要に引き続き親鸞聖人が『顕浄土真実教行信証文類』「信巻」で引用している『涅槃経』の阿闍世王救済物語について見ました。盂蘭盆会では地獄と「慚愧」ということを確かめましたが、今回は「慈悲」ということをテーマに掲げて考えました。先ず身心を病む阿闍世王を慰めようとした大臣が勧める六師の説について見て、それらは罪を正当化する説であり阿闍世王にとっては気休めにはなったが身心に響くものではなかったことを確かめ、その後仏の「阿闍世の為に涅槃にはいらず」というお心と月愛三昧の言葉をみることで、仏の慈悲心の安心感があってはじめて、阿闍世王は自らの罪と向き合えたのだと、慈悲が響いたところにのみ罪悪の身ときちんと向き合うことができるのだと窺いました。
お忙しい中たくさんの方にお参りいただきましてありがとうございました。…
今回は第五観、「宝池観」と呼ばれる八功徳水の想について見ました。八功徳水の八功徳について『称讃浄土経』や『観経疏』に具体的に説かれるところを確認したり、水のせせらぎの音が仏法の響きとして奏で、鳥の鳴き声が帰依三宝を褒め讃えているという表現がなされているところに着目しました。
次回は10月6日(月)14時からの開催となります。第2月曜日ではございませんのでご注意ください。…
今回は後序の最後に記述されている、所謂「流罪文」について学びました。『歎異抄』の最後に「流罪文」が置かれた理由とは何かを、武田先生の視座を参考に、「自力のはからい」という『歎異抄』で語られる異義の根本課題がこの「流罪文」からも教えられるのだと確かめました。
今回で約2年間輪読してきた『なぜ?からはじまる歎異抄』を読み終えました。この書の学びを糧に、来月からは新たに三明智彰著『歎異抄講義 上巻』を皆さまと輪読していきたいと思います。…
今回は「後序」で語られる、親鸞聖人の二つのつねのおおせについて見ました。おおせの一つ目は阿弥陀仏の本願は救われるはずのない私親鸞一人を救けるために建ててくださったのだと言う感銘が語られ、二つ目は自身は善悪の二つを存知しないと言い切り、煩悩の身、火宅無常の世を生きる者にとって、まことは念仏のみなのだという表白が述べられています。この二つのおおせは、「念仏のみぞまこと」と言われるように、真実によって二つのおおせは貫かれているのだと確かめました。
次回、9月3日(水)の開催で「後序」の最後に置かれている流罪記録を見て本を読み終える予定です。…
8月6日(水)14時~ 『歎異抄』輪読会
武田定光著『なぜ?からはじまる歎異抄』の後序について見ていきます。…
今回の『御文』四帖目第五通で語られる宿善無宿善の「宿」の字に着目し、宿ということが問題になることに、教えに自己とは何かを学ぶという姿があるのではないかということを確かめた。
その後の『一念多念文意』では、第十八願成就文、第十一願文についての親鸞聖人の解釈を見て、「願生」と「得生」の位の違いに、時間がかからない、本来は清浄国土に生まれた者の「正定聚」という位に、この娑婆世界を生きる者がつくという不可思議を学びました。なかなか了解が難しいところですので、再度確かめていきたいと思います。…
今回は、前回見た第四観「樹想観」の続きを読みました。整然と並んだ木々、木の実の美しさなどが見事に表現されておりました。
次回開催日は8月18日(月)14時~となりますのでご注意ください。…
今年度の盂蘭盆会法要では、地獄を日本仏教でどのように捉えられていたのかを源信僧都の『往生要集』を参考に見た後、その地獄から救われるとはどのようなことなのかを、『涅槃経』に説かれる阿闍世王の救いを要点を辿りながら学びました。…