
今回は第七華座観の最初の部分について見ました。特に「無量寿仏 住立空中」に着目し、この言葉が真宗の御本尊の姿の由来になっていることや、韋提希の獲三忍の時であるということを確かめました。
次回は12月8日(月)14時からの開催となりますので、お気軽にご参加ください。…

今回は第七華座観の最初の部分について見ました。特に「無量寿仏 住立空中」に着目し、この言葉が真宗の御本尊の姿の由来になっていることや、韋提希の獲三忍の時であるということを確かめました。
次回は12月8日(月)14時からの開催となりますので、お気軽にご参加ください。…

前回から三明智彰著『歎異抄講義 上巻』を読み始めました。今回は第一条の始めにある「弥陀の誓願」について語られる箇所について見ました。次回は「不思議」についてのところから読み進めていきたいと思います。
開催は12月3日(水)14時からを予定しておりますので、お気軽にご参加ください。…

当日はお足元の悪い中、多くの方にお参りいただきましてありがとうございました。改めまして感謝申し上げます。
今年の報恩講は東京宗務出張所所長の中根慶滋氏よりご法話を頂戴いたしました。南無阿弥陀仏と念仏申すこと、そして念仏申すことによって開かれてくる世界について丁寧に確かめていただきました。ご法話を受け、私自身これからも名響寺に集う有縁の方々と共に、親鸞聖人が顕かにしてくださった教えを聞き、阿弥陀の願いに出遇っていく生活をあゆんでいきたいと思わせていただきました。…

今回から三明智彰著『歎異抄講義 上巻』の輪読を始めました。『歎異抄』の作者についてであったり、前序に語られる何故『歎異抄』が書かれたのかを確かめました。これから『歎異抄』について改めて輪読していくにあたり、その作者が教えを受けた者の責任として後に続く者(今を生きる私たち)へかけた想いを受け取りながら読み進めていきたいと思います。
次回は11月5日(水)14時からの開催となりますので、是非ともご参加ください。…

今回は宝楼観と呼ばれる第六観について見ました。ここでは、浄土の楼閣には無量の天人がいることや、楽器が宙に浮かび、自ずと音が奏でられるというように描かれています。自ずと奏でられる音の響きは三宝を念ずと説かれるとあることは、先月見た宝池観で鳥の声が三宝を念ずることに通じています。仏、法、僧を念じることを欠いてお浄土の世界はないということでしょう。
次回は観想のなかでも特に大切な第七華座観について見ていきます。11月10日(月)14時からの開催を予定しておりますので、是非お気軽にご参加ください。…
9月3日(水)14時~ 『歎異抄』輪読会
武田定光著『なぜ?からはじまる歎異抄』の流罪記録について見ていきます。…

今回は、盂蘭盆会法要に引き続き親鸞聖人が『顕浄土真実教行信証文類』「信巻」で引用している『涅槃経』の阿闍世王救済物語について見ました。盂蘭盆会では地獄と「慚愧」ということを確かめましたが、今回は「慈悲」ということをテーマに掲げて考えました。先ず身心を病む阿闍世王を慰めようとした大臣が勧める六師の説について見て、それらは罪を正当化する説であり阿闍世王にとっては気休めにはなったが身心に響くものではなかったことを確かめ、その後仏の「阿闍世の為に涅槃にはいらず」というお心と月愛三昧の言葉をみることで、仏の慈悲心の安心感があってはじめて、阿闍世王は自らの罪と向き合えたのだと、慈悲が響いたところにのみ罪悪の身ときちんと向き合うことができるのだと窺いました。
お忙しい中たくさんの方にお参りいただきましてありがとうございました。…

今回は第五観、「宝池観」と呼ばれる八功徳水の想について見ました。八功徳水の八功徳について『称讃浄土経』や『観経疏』に具体的に説かれるところを確認したり、水のせせらぎの音が仏法の響きとして奏で、鳥の鳴き声が帰依三宝を褒め讃えているという表現がなされているところに着目しました。
次回は10月6日(月)14時からの開催となります。第2月曜日ではございませんのでご注意ください。…

今回は後序の最後に記述されている、所謂「流罪文」について学びました。『歎異抄』の最後に「流罪文」が置かれた理由とは何かを、武田先生の視座を参考に、「自力のはからい」という『歎異抄』で語られる異義の根本課題がこの「流罪文」からも教えられるのだと確かめました。
今回で約2年間輪読してきた『なぜ?からはじまる歎異抄』を読み終えました。この書の学びを糧に、来月からは新たに三明智彰著『歎異抄講義 上巻』を皆さまと輪読していきたいと思います。…

今回は「後序」で語られる、親鸞聖人の二つのつねのおおせについて見ました。おおせの一つ目は阿弥陀仏の本願は救われるはずのない私親鸞一人を救けるために建ててくださったのだと言う感銘が語られ、二つ目は自身は善悪の二つを存知しないと言い切り、煩悩の身、火宅無常の世を生きる者にとって、まことは念仏のみなのだという表白が述べられています。この二つのおおせは、「念仏のみぞまこと」と言われるように、真実によって二つのおおせは貫かれているのだと確かめました。
次回、9月3日(水)の開催で「後序」の最後に置かれている流罪記録を見て本を読み終える予定です。…