今回から「後序」に入りました。その始めに「信心一異の諍論」と呼ばれる親鸞聖人が法然上人の元におられた時の信心をめぐる議論が展開される場面が説かれます。これまで異義篇にて真実信心の異なりを具体的に見てきたが、異なる信心の対比としてただ一つの信心を伝えるために唯円は若き親鸞聖人の諍論を提示しておられるのだと思います。親鸞聖人の信心と法然上人の信心とが一つであるか否かが論点になっているが、特に勢観房という法然上人の昵近の弟子が一つであるはずがないと言い切ることに着目して話し合いました。
 次回は8月6日14時から「後序」の続きを読んでいきますので、お気軽にご参加ください。…

 今月の『御文』は「三首詠歌」と呼ばれるもので、蓮如上人が年齢を重ねた自身の有り様を通して、本願に出遇えた喜びを歌でもって私たちに伝えてくださっています。歌が仏事をなすことは親鸞聖人のご和讃で私たちは承知しているが、明治大正期に活躍された句仏上人や暁烏敏や高浜虚子らの歌を何首か取り上げながら真宗の感覚を味わいました。
 その後は来月13日の盂蘭盆会法要に向けて、お集まりいただいた皆で仏具のおみがきを行いました。回数を重ねてきたせいか、皆さまの技術が上達し、早くかつ綺麗に磨いてくださいました。お力添えありがとうございました。是非盂蘭盆会法要にお参りくださいませ。
 また、次回の御命日の集いは通常通りの流れで7月27日14時から開催いたしますので、あわせてご参加ください。…

 今回は第十八条について見ました。第十八条では、施入物の違いで大きな仏になったり小さな仏になったりするという異義が取り上げられております。唯円は第十八条の中でも往生の要は信心であると伝えてくださっている。第十八条を通して参加してくださった方々と寺院と門徒の間にある「お布施」について語り合いました。
 次回は7月2日14時からとなります。お気軽にご参加ください。…

 今回は第四観「樹想観」の前半部分について見ました。浄土の樹の様が詳細に語られ、樹の華や葉についても言及されていました。その中で出てくる「七宝」について一つ一つ確かめました。
 次回は7月14日14時から開催いたしますので、お気軽にご参加ください。…

 今日の『御文』(四帖目第三通)では世間の争乱の有り様を伝えつつ、このような濁乱の時を生きる五逆の機をも救う阿弥陀如来の本願を説くことが釈尊の出世本懐であることを伝えていました。その中で釈尊は法華経を説いている会座を中断してまで念仏の教えを韋提希夫人の為に説いたということに言及されます。釈尊が本当に説きたかった平等の救いを親鸞聖人は「誓願一仏乗」と掲げていることも確かめました。
 『一念多念文意』では、改めて親鸞聖人の経典を学ぶ立脚地を確かめたあと、前回に引き続き第十八願成就文の「聞其名号 信心歓喜 …

 今回は第三観「地想観」について語られているところを見ました。地想観では先の水想観にて説かれた浄土の大地の荘厳一つ一つをはっきりと、しかも睡眠時を除いて恒に見ることによって、ほぼ極楽浄土を見ることができると説かれています。そして釈尊は地想観の内容を説いた後、阿難に向かって未来世の衆生のためにこのことを伝えてほしいといい、さらに滅罪にも言及しています。これを受け、滅罪と命終の時について少し確かめました。
 次回は6月9日(月)14時からとなりますので、是非ご参加ください。…

 今回は第十七条について見ました。辺地に往生することの意味を地獄に堕ちる前段階として見る異義が取り上げられていますが、辺地に生まれることは疑いの罪を知らされるというところに大事な意味があり、辺地を説くところに如来の悲心があるのだと確かめました。
 次回は6月11日(水)14時からとなります。是非お参りください。…

 今回の『御文』は四帖目第二通について説かれる寿命について見ていく中で、念仏申し、念仏の教えを聞くことは、いつ死んでもいいという生命の満足というよりも、いつまででも生きていけるという生命の満足をたまわることなのではないかと確かめました。
 『一念多念文意』では、第十八願成就文について、親鸞聖人の読み方とそれ以前の読み方を比べてみながら、親鸞聖人が一念を一回の念仏としてではなく、信心と見ておられることや、至心回向するのは私たち衆生ではなく、阿弥陀如来であると確かめた。そこには、親鸞聖人が自身を常没の凡夫であるというところに立っておられるから見えてくのでしょう。また、「一念」の解釈で語られる「時のきわまり」について思うところを述べたが、はっきりと伝えることができなかったので、次回もう一度考えていきたいと思います。
 次回は5月27日(火)14時からとなります。…

 今回は前回の日想観に続き、第二観の「水想観」について見ました。水想観では、清らかで澄みきった水から、氷、そして浄土の瑠璃の大地を想い描くことが説かれていました。
 次回は5月12日14時から開催いたしますので、お気軽にご参加ください。…

 今回は『歎異抄』第十六条について語られる「回心」について見ました。第十六条では、親鸞聖人の教えを聞き念仏申す生活を営む者の中に「回心」を日々の反省のように捉えている異義が取り上げられています。日々の自身の行いを反省をすることは、決して悪いこととは言えませんが、その反省しよういう心に善人になって救われるという意識が隠れており、それは念仏往生においては大きな問題となることを唯円は教えてくださっています。
 次回は、5月7日(水)14時から、第十七条について見ていきましょう。…