2月28日 写教の会を開催しました

今回は「依修多羅顕真実 光闡横超大誓願」について見ました。「依」という事について、曇鸞大師は、「何所依・何故依・如何依」という三依ということを言っております。あなたは、いったいどこに依って人生を生きていこうとしているのか、なぜそれに依るのか、どのように依るのか、ということです。それがはっきりする事によってこの人生を生き抜き亡くなって行けるのだということです。

それは「依修多羅顕真実」ですので修多羅に依るのだと。修多羅とはサンスクリット語のスートラの音写になります。意味は経典です。その修多羅とは、ここでは直接的には『大無量寿経』を言っているわけです。『大無量寿経』が顕かにした真実に依るのだと。三依で言えば、どこに依って生きていくかといえば、『大無量寿経』が顕す真実に依るのだということです。どうしてそれに依るのかといえば、それが私一人を救うために阿弥陀さんが慈悲心でもって本願を建てられたからだと。そして、どのように依るかといえば、阿弥陀さんの南無阿弥陀仏と念仏申す者を決して見捨てないという願いを信じて念仏申すということになります。

そして、次の「光闡横超大誓願」ですが、前の「顕真実」を具体的に説いているのが「光闡横超大誓願」という事です。光闡は難しい言葉ですが、顕かにするという意味です。真実の具体相が「横超大誓願」という事です。ここに横超という言葉がでていますが、親鸞聖人は、真実に「自利真実」と「利他真実」があるのだと『愚禿鈔』という著書で言っておられます。そこに、「利他真実」として横超・横出という事が出ています。横出というのは、他力の中の自力であるとおさえられております。他力の道を歩むのに自分のはからいが雑じっているのです。阿弥陀さんに全託できないというところです。それに対して、横超は阿弥陀さんに全託する仏道です。阿弥陀さんの願いに生きるということです。この辺りは本当に大きな課題ですので、一人一人が念々に確かめて行かなければならないと思います。

次回は3月28日(月)14時~の開催を予定しておりますので、お気軽にご参加ください。