3月21日 名響寺春の彼岸会兼永代経法要を厳修しました

式次第・真宗宗歌斉唱・勤行(伽陀、『仏説阿弥陀経』、正信偈同朋奉讃式、『御文』三帖目第三通)・法話・恩徳讃斉唱

今年から永代経法要も兼ねて厳修することになりました。亡くなる縁に会えば浄土に還る、その歩みを名響寺に集う方たちと考えていく大事なご縁、諸仏となって下さった事を改めて感謝申し上げます。

今回はロシアがウクライナに侵攻した事を受けて、「正当化」と「慚愧」いう事をキーワードに考えました。人は自らの愚かさを隠したり自らが身をよしと思う時、「正当化」して他者を傷つけていきます。それに対し、自らの身自らの行為をしっかりと見つめ、自らの身をよしと思うこころが離れた時には「慚愧」の心のみが残ります。しかし、その愧じる心こそが人間の心なのだと『涅槃経』のギバ大臣は言います。「慚愧があればこそ、父母や師や年長の人を恭敬うことができるのであり、慚愧があればこそ、父母・兄弟・姉妹があることの意味がわかる」と、愧じる心が人間の心であり、関係存在であることの気付きであると言うのです。

プーチン大統領を見れば「正当化」している姿はよくわかりますが、自分が様々な場面で実は「正当化」しているとはなかなか気付かないのではないでしょうか。お彼岸を縁に自らの身をよしとせず、つねに教えに照らされて歩む。その照らす元は阿弥陀の浄土なのだという事を考えていきたいと思っております。