4月27日 親鸞聖人御命日の集いを開催しました

今回の『御文』は四帖目第二通について説かれる寿命について見ていく中で、念仏申し、念仏の教えを聞くことは、いつ死んでもいいという生命の満足というよりも、いつまででも生きていけるという生命の満足をたまわることなのではないかと確かめました。
『一念多念文意』では、第十八願成就文について、親鸞聖人の読み方とそれ以前の読み方を比べてみながら、親鸞聖人が一念を一回の念仏としてではなく、信心と見ておられることや、至心回向するのは私たち衆生ではなく、阿弥陀如来であると確かめた。そこには、親鸞聖人が自身を常没の凡夫であるというところに立っておられるから見えてくのでしょう。また、「一念」の解釈で語られる「時のきわまり」について思うところを述べたが、はっきりと伝えることができなかったので、次回もう一度考えていきたいと思います。
次回は5月27日(火)14時からとなります。…





