4月7日 写教の会を開催しました

今回は前回の日想観に続き、第二観の「水想観」について見ました。水想観では、清らかで澄みきった水から、氷、そして浄土の瑠璃の大地を想い描くことが説かれていました。
次回は5月12日14時から開催いたしますので、お気軽にご参加ください。…
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今回は前回の日想観に続き、第二観の「水想観」について見ました。水想観では、清らかで澄みきった水から、氷、そして浄土の瑠璃の大地を想い描くことが説かれていました。
次回は5月12日14時から開催いたしますので、お気軽にご参加ください。…

今回は『歎異抄』第十六条について語られる「回心」について見ました。第十六条では、親鸞聖人の教えを聞き念仏申す生活を営む者の中に「回心」を日々の反省のように捉えている異義が取り上げられています。日々の自身の行いを反省をすることは、決して悪いこととは言えませんが、その反省しよういう心に善人になって救われるという意識が隠れており、それは念仏往生においては大きな問題となることを唯円は教えてくださっています。
次回は、5月7日(水)14時から、第十七条について見ていきましょう。…
仏事の相談やご依頼等は
gyoutoku.myoukouji@gmail.com
までお送りくださいますようお願い申し上げます。…

今年度は、「教えを聞き続ける場や機会が永代にわたって相続されていくようにと願われている」永代経を機縁に、念仏相続について、念仏が伝わってきて伝わっていくことについて皆さんと訪ねました。
具体的には、たまたま教えに出会った者が、そこに感動と疑問を持ちながら、命のある限り考え続けていくことと、南無阿弥陀仏そのものが生きてはたらく仏であり、私も隣の人も南無阿弥陀仏に教化されていくことを確かめました。また、それは私の口からこぼれる念仏であり、その念仏は讃嘆の念仏でもため息まじりの念仏でも同じように、声を聞いたものに伝わっていくのでしょう。…

今回から定善の観察が説かれてきますが、その第一の観である「日想観」について見ました。西方に沈む夕日を集中し正座をして観じていくことを通して心に浄土を想うことであると確かめました。
次回は4月7日(月)14時からの開催となります。第二月曜日ではありませんのでご注意くださいませ。…

今回は第十五条「さとりと信心の関係」を輪読いたしました。第十五条では、煩悩具足の身でありながらすでにさとりを得たというように主張する異義について説かれています。唯円は真言、法華の教義を提示しつつ、それらの道を懸命に歩む者であっても、この世で清らかな仏に成ることは不可能であるという。対して親鸞聖人の教えは「浄土真宗には、今生に本願を信じて、かの土にしてさとりをばひらくとならいそうろうぞ」ということであり、今生に信心をたまわり、阿弥陀の浄土に往生してさとりを開くのだと説いている。…
『歎異抄』輪読会を3月5日(水)12時から開催を予定しておりましたが、降雪の予報がでていることを考慮して、3月12日(水)14時からの開催に変更させていただきます。
何卒よろしくお願い申し上げます。…

前回は復習という形で何故『一念多念文意』が著されることになったのか、一念義多念義のそれぞれの主張等を確かめました。今回から実際に『一念多念文意』の文章に学んでいきますが、東本願寺出版から聞法テキストとして『一念多念文意』が出ておりますのでこちらを見ながら読み進めていきます。
最初の「一念をひがごとと思うまじき事」という見出しに続いて、「恒願一切臨終時 勝縁勝境悉現前」という善導大師の漢文が出てきます。隆寛律師がこの文を引用した意図は、無常というところに立って一念一念に忘れず怠らずに恒に願えという「恒願」に主眼が置かれているのであろうと思います。この「恒願」について『一念多念文意』で親鸞聖人は「恒」と「常」の違いを明示して、「恒」には「おりにしたごうて、ときどきもねがえというなり」と解釈し、一念一念に忘れず怠らない聖者の姿ではなく、業縁を生きる凡夫の姿に立って見ていかれている。縁が整ったときに自然とこぼれる念仏に仏のはたらきを感じて生きて行く。このことを善導大師の文は伝えて下さっていることを親鸞聖人は教えてくださっているのだと思います。…
