第9回目となる写教の会を開催しました。現在は本番の「書写 正信偈」を書き始めております。

正信偈の学びとして釈迦章の「獲信見敬大慶喜 …

今回は『御文』一帖目第十通で何故蓮如上人は敢えて「多屋の内方」に信心を得てほしいと願われたのかを考察した。

『唯信鈔文意』では、前回の復習と「自来迎」の「来」について親鸞聖人がどのように解釈しているかを見ました。前回と同様に、親鸞聖人は臨終来迎という通念を破り、弥陀の本願、自身の賜った信心の目線で解釈をなさっているのだということを皆で共有した。特に、「来」に「かえる」という意味があるという解釈の中で、「法性のみやこ」にかえる方向と、「生死海」にかえる方向があるという点に着目した。

次回は仏具のおみがきも行いますので、是非ともご参加ください。…

第8回目となる写教の会を開催しました。前回から本番の「書写 正信偈」を書き始めております。

正信偈の学びとして釈迦章の「譬如日光覆雲霧 …

名響寺報恩講を厳修しました。

式次第 正信偈草四句目下 …

第7回目となる写教の会を開催しました。今回から本番の「書写 正信偈」を書き始めるにあたり、この書写本は旧字体のものが多々あるので幾つかの漢字の筆順を先ず確認しました。筆順の確認は今後もしていきます。

そして、正信偈の学びとして釈迦章の「摂取心光常照護 …

 

名響寺秋の彼岸会法要を厳修しました。

式次第 …

第6回目となる写教の会を開催しました。今回は「能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃 凡聖逆謗斉回入 …

 今回は、『御文』一帖目第九通において問題とされる「物忌み」について考察し、その後『唯信鈔文意』で「観音勢至自来迎」の「自」について親鸞聖人がどのような解釈をしているのかを見た。「自」について解釈をする親鸞聖人には臨終来迎では真に救われないという想いがあり、念仏の功を積むことで臨終来迎を期待するというはからいを離れなさいといなかの人々に呼びかけておられる。そしてそのはからいの心は釈迦弥陀二尊の力用きによって念仏者に信心が起こること、また、臨終という時や無常院というところの定めなく、信心の行者に無数の聖衆が添い護ることをいなかの人々に伝えて下さっているのである。普通は観音勢至が自ら臨終の時に来迎して救って下さると読むところを、そうではないのだと丁寧に説かれているのです。

 次回の御命日の集いは11月27日になります。少し間があきますが、「来迎」について親鸞聖人がどのような解釈をされているかを見ていきます。…

 名響寺盂蘭盆会法要を厳修いたしました。

式次第 伽陀「先請弥陀」 …

 第5回目となる写教の会を開催しました。今回は釈迦章の最初「如来所以興出世 唯説弥陀本願海 五濁悪世群生海 …