今回は「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定」について特に憶念の語に着目して見ました。

「阿弥陀仏の本願を憶念する」とあります。念仏申す者をおさめとって決して見捨てない願いを憶念する。憶念というのは「深く思う」ということですが、「憶」の字に「恒に意の中にあると」いう意味があります。親鸞聖人はこの憶念をどのように押さえておられるかと言いますと、真実信心として押さえておられるのです。『顕浄土真実教行信証文類』には「淳心すなわちこれ憶念なり。憶念すなわちこれ真実一心なり。」とあります。淳心というのは、混じりけのない心ということです。混じりけが有るとは簡単にいえば人間の思いはからいが混じってくることを言うのです。特に言われるのが名利心と罪福信です。これらが混じることがないというのは敢えて言えば仏のお心、阿弥陀仏の大慈悲心ということです。憶念というと、自分が深く思うということですが、単に私が阿弥陀仏の本願を深く思うというよりも、おさめとって決して見捨てないという願いが私一人にかけられていることを思うと言ったほうが親鸞聖人の意に適うのではないかと思います。私のために本願を建てて下さった、つねにものうき事無く私を心配しておられる阿弥陀仏の大悲心を思うということです。…

式次第 正信偈草四句目下 念仏讃淘三 …

緊急事態宣言があけましたので、久しぶりに写教の会を開催することができました。

本日は、前回は「宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽 …

緊急事態宣言が延長されたことを受け、名響寺秋の彼岸会は内勤めにて厳修させていただきました。こちらに彼岸会によせた文章を載せますのでご一読いただければと思います。

皆さまはコロナウイルスワクチンを接種されたでしょうか?先日、日本人の半分以上が二回目の接種を終えたという報道を耳にしましたが、その中でワクチン接種をした方はホテルに割安で宿泊ができるということも伝えていました。日本ではまだ企業だけのことですが、ワクチン接種者への優遇が始まっています。海外に目を向けると、いわゆるワクチンパスポートというものをめぐる議論が盛んに行われているようです。例えば、ニューヨークやハワイでは実際に政策としてワクチンパスポートが導入された一方で、フランスではワクチンパスポートは差別につながるとしてデモがおこっていました。ワクチン接種の強制、或いはワクチン接種をしない人はおかしいという偏見が助長される恐れのあるワクチンパスポートは日本でも今後議論がなされると思います。このワクチンパスポートをめぐる差別の議論、あるいは、昨年から続くヘイトクライムのニュース映像を見ると、コロナウイルスというのは人間が持つ「差別性」を露わにしたウイルスでもあると言えるのではないかと思います。

ウイルスと差別という事でハンセン病が思い起こされます。私は以前東京都東村山市にある多摩全生園、国立ハンセン病資料館に伺ったことがあるのですが、その際に差別偏見の恐ろしさや惨さを感じました。このハンセン病は様々な呼ばれ方をするのですが、その中に「業病」という呼び名があります。これは、ハンセン病に罹ったのは前世に悪い行いをした報いだという、因果の道理を説く仏教の思想から出てきた呼び名なのです。仏道をあゆみハンセン病の症状と差別に苦しむ人々と共に生きようとする者が、逆に手を離してしまったことを物語る呼び名が「業病」です。真宗でも『歎異抄』第十三条に「宿業」という言葉が出てきますが、それを他者に向かって言い放つとき、それは鋭利な刃物となり相手を深く傷つけるのでしょう。本来「宿業」という言葉は、外への言葉ではなく、自らの内なるところで頷いていく言葉なのです。阿弥陀仏の光が苦悩の身を照らしてくださり、照らしてくださったことのうえに阿弥陀仏の大慈悲の心を感じて生きていく、自らの業というものを引き受けていくという力強い言葉なのです。人は誰にも代わってもらうことのできない苦しみ、悲しみに縁によってあっていかなくてはなりません。『歎異抄』は親鸞聖人が阿弥陀仏の慈悲を身に受けたことを「そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と述懐した言葉を私たちに残してくださっています。宿業の身を生き抜いていく姿がここにあります。彼岸会を縁にあらためて阿弥陀仏の大慈悲を念仏申すことを通して感じていきたいと思います。…

台風の影響を心配しましたが、少し逸れてくれたお陰で開催する事ができました。

今回の『御文』(1帖目第十五通)では宗名の問題が取り上げられいましたので、浄土真宗という名告りにどのような意味があるのかを、親鸞聖人が実際に浄土真宗という言葉を使っている文を見ながら考えました。

『唯信鈔文意』では、『五会法事讃』の文の「彼仏因中立弘誓 …

今日は人が生きていくということについて、聖徳太子の「和」と「党」という言葉を通して見ました。人は1人では生きていけません。人との繋がりが無ければ生きていけません。真宗の学びも1人ではできません。そのように人間は和という交わりを求めて生きています。しかし、その和がいつのまにか歪な和になってしまうことがあります。それは自らが正しいというところに立ってしまう時です。その危うさに気付く機会が仏縁なのだと思います。自分はどういう立ち位置で生き、どのような和を求めているかを今一度考える機縁が今日あれば何よりかと思います。…

今回は前回みた『中論』の続きの「宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽」の1句について見ていきました。先ず大乗仏教と小乗仏教のそれぞれの特色をみました。その後「歓喜地」に着目し、親鸞聖人は南無阿弥陀仏と申す、そこに歓喜地の位を仏から与えられる、仏のはたらきによって歓喜地の位に就くという了解をなさっていることを確かめました。そして、歓喜地が不退転の位とも言われることで言えば、菩薩の五十二位のように歩みを重ねて上に立って落ち着くのではなく、念仏申し阿弥陀さんのはたらきを受け、地獄に立つ勇気を阿弥陀さんより賜ったことを、親鸞聖人は歓喜地と見ていたのではないかと伺いました。

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先ず『御文』一帖目第十四通で語られる「他法(宗)を謗る」という問題の内実を確かめました。その後は『唯信鈔』で第十七願、第十八願がどのような流れで語られているかを改めて確認しました。次回から『唯信鈔』でどんな者ももらさずに救うという第十八願念仏往生の願意を教える文として聖覚が引用した「彼仏因中立弘誓」から始まる『五会法事讃』の文を、親鸞聖人が『唯信鈔文意』でどのように語っておられるかを見ていきます。

また、今回は半年に一度の仏具のおみがきをお集り頂いた皆様と行いました。おかげさまで、盂蘭盆会法要をお仏具が輝いた姿で厳修することができます。お手伝い頂きまして、本当にありがとうございました。…

今回は七高僧の一人、インドの龍樹菩薩について謳っている「釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺 龍樹大士出於世 …

先ず『御文』一帖目第十三通に取り上げられている十劫安心の問題を通して、たまわりたる信心ということを確かめた。『唯信鈔文意』では前回もたずねた第十七願と『五会法事讃』の著者である法照禅師について学んだあとは、『唯信鈔』に戻り、次に語られる第十八願念仏往生の願の意について聖覚がどのように説いているかを見ました。

内容が難しかったようなので、今日のところは来月もう一度たずねていきたいと思っております。…