台風の影響を心配しましたが、少し逸れてくれたお陰で開催する事ができました。

今回の『御文』(1帖目第十五通)では宗名の問題が取り上げられいましたので、浄土真宗という名告りにどのような意味があるのかを、親鸞聖人が実際に浄土真宗という言葉を使っている文を見ながら考えました。

『唯信鈔文意』では、『五会法事讃』の文の「彼仏因中立弘誓 …

今日は人が生きていくということについて、聖徳太子の「和」と「党」という言葉を通して見ました。人は1人では生きていけません。人との繋がりが無ければ生きていけません。真宗の学びも1人ではできません。そのように人間は和という交わりを求めて生きています。しかし、その和がいつのまにか歪な和になってしまうことがあります。それは自らが正しいというところに立ってしまう時です。その危うさに気付く機会が仏縁なのだと思います。自分はどういう立ち位置で生き、どのような和を求めているかを今一度考える機縁が今日あれば何よりかと思います。…

今回は前回みた『中論』の続きの「宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽」の1句について見ていきました。先ず大乗仏教と小乗仏教のそれぞれの特色をみました。その後「歓喜地」に着目し、親鸞聖人は南無阿弥陀仏と申す、そこに歓喜地の位を仏から与えられる、仏のはたらきによって歓喜地の位に就くという了解をなさっていることを確かめました。そして、歓喜地が不退転の位とも言われることで言えば、菩薩の五十二位のように歩みを重ねて上に立って落ち着くのではなく、念仏申し阿弥陀さんのはたらきを受け、地獄に立つ勇気を阿弥陀さんより賜ったことを、親鸞聖人は歓喜地と見ていたのではないかと伺いました。

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先ず『御文』一帖目第十四通で語られる「他法(宗)を謗る」という問題の内実を確かめました。その後は『唯信鈔』で第十七願、第十八願がどのような流れで語られているかを改めて確認しました。次回から『唯信鈔』でどんな者ももらさずに救うという第十八願念仏往生の願意を教える文として聖覚が引用した「彼仏因中立弘誓」から始まる『五会法事讃』の文を、親鸞聖人が『唯信鈔文意』でどのように語っておられるかを見ていきます。

また、今回は半年に一度の仏具のおみがきをお集り頂いた皆様と行いました。おかげさまで、盂蘭盆会法要をお仏具が輝いた姿で厳修することができます。お手伝い頂きまして、本当にありがとうございました。…

今回は七高僧の一人、インドの龍樹菩薩について謳っている「釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺 龍樹大士出於世 …

先ず『御文』一帖目第十三通に取り上げられている十劫安心の問題を通して、たまわりたる信心ということを確かめた。『唯信鈔文意』では前回もたずねた第十七願と『五会法事讃』の著者である法照禅師について学んだあとは、『唯信鈔』に戻り、次に語られる第十八願念仏往生の願の意について聖覚がどのように説いているかを見ました。

内容が難しかったようなので、今日のところは来月もう一度たずねていきたいと思っております。…

前回で依経段が終わりまして今回から依釈段に入っていきますが、その依釈段とはどういう方がどういう事を伝えようとなさっているのかが謳われているのが、総讃と呼ばれる「印度西天之論家 中夏日域之高僧 顕大聖興世正意 …

 

今年に入って初めての御命日の集いを開催しました。先ず『御文』一帖目第十二通で問題に挙がっている毎月の会合での座談会の在り方について考えました。また、『唯信鈔文意』では前回の復習も兼ねて、親鸞聖人が「迎」を「むかえたまうという、まつというこころなり。」と解釈なさっていることに着目し考察しました。

また、『大無量寿経』下巻の「願生彼国」という言葉を「彼の国に生まれんと願えとなり」と注釈して、願生彼国を阿弥陀の呼び声であると親鸞聖人は言っているのは、先ず阿弥陀の呼び声があって、それに応える形で私が阿弥陀の浄土に生まれたいと願う存在となる事を伝えようとされているのだと確かめました。…

  今回は「弥陀仏本願念仏 邪見憍慢悪衆生 信楽受持甚以難 …

今回は「一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 仏言広大勝解者 …