
前回で依経段が終わりまして今回から依釈段に入っていきますが、その依釈段とはどういう方がどういう事を伝えようとなさっているのかが謳われているのが、総讃と呼ばれる「印度西天之論家 中夏日域之高僧 顕大聖興世正意 …

前回で依経段が終わりまして今回から依釈段に入っていきますが、その依釈段とはどういう方がどういう事を伝えようとなさっているのかが謳われているのが、総讃と呼ばれる「印度西天之論家 中夏日域之高僧 顕大聖興世正意 …

今年に入って初めての御命日の集いを開催しました。先ず『御文』一帖目第十二通で問題に挙がっている毎月の会合での座談会の在り方について考えました。また、『唯信鈔文意』では前回の復習も兼ねて、親鸞聖人が「迎」を「むかえたまうという、まつというこころなり。」と解釈なさっていることに着目し考察しました。
また、『大無量寿経』下巻の「願生彼国」という言葉を「彼の国に生まれんと願えとなり」と注釈して、願生彼国を阿弥陀の呼び声であると親鸞聖人は言っているのは、先ず阿弥陀の呼び声があって、それに応える形で私が阿弥陀の浄土に生まれたいと願う存在となる事を伝えようとされているのだと確かめました。…
今回は「弥陀仏本願念仏 邪見憍慢悪衆生 信楽受持甚以難 …

今回は「一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 仏言広大勝解者 …

今回の彼岸会では、今年が聖徳太子の千四百回忌にあたるということで、「親鸞聖人と聖徳太子」について考察しました。先ず、親鸞聖人が聖徳太子のことをとても尊敬なさっていたことなど、知っておいて頂きたい事をお伝えしました。そして、二人の共通点に着目し二人共にその存在自体が疑問視された歴史があることや、共に在家止住の身で仏道を歩まれたことを確かめました。
在家の身において仏道を歩むということは、煩悩の生活というところにいよいよ阿弥陀仏ということを感じて生きて行くのということなのだと思います。出家というところに身をおいている者にも、もちろん阿弥陀仏の願いはかけられています。ですが、出家よりも在家止住というところにおいて、いよいよ阿弥陀の本願を忝いと頂いていくことが出来るのではないかと思うのです。お彼岸という事で言えば、法蔵菩薩がお浄土を建立したいと願われたのも在家止住の男女のためであるし、そのお浄土の光は在家止住の男女を照らし包みおさめ取って決して捨てないという大悲の心を感じさせるのだと思います。…

今回の修正会では仏教徒(仏弟子)に成るという事について「戒律」という事に着目し、親鸞聖人は「戒」をもって仏弟子と成るとしてきた仏教から、「聞思」をもって仏弟子の資格を阿弥陀仏より賜るという仏道を顕かにして下さったことを確かめた。どうやったら仏教徒になれるかといえば、阿弥陀さんの願いを聞思する他ないのだと思います。是非、皆様も「聞思」して堂々と仏教徒と名乗って下さい。衣を着ているから、或いは出家し戒律をたもち厳しい修行をしているかは一切関係ないのです。
今年も皆さんと真宗の教えを聞いて行きたいと思っております。ご都合のつく時には名響寺にお参り頂き、共に教えに触れていきたいと思っております。本年もよろしくお願いいたします。…

今回は『御文』一帖目第十一通で問題に挙がっている「あの世」と「御布施」という事を通して、坊主門徒共に信心を得てほしいと蓮如上人が願われていることを尋ねた。
また、『唯信鈔文意』では親鸞聖人が「迎」を「むかえたまうという、まつというこころなり。」と解釈なさっていますが、「まつというこころ」とはどのような事を言っているのかについて、後に出てくる「信楽をうるとき」というところに着目し考察しました。
15時頃から仏具のおみがきを行いました。ご参加頂いた皆様が一生懸命にみがいて下さったおかげでとても綺麗になりました。1月1日の10時~修正会が勤まりますので是非お参り下さい。…

第9回目となる写教の会を開催しました。現在は本番の「書写 正信偈」を書き始めております。
正信偈の学びとして釈迦章の「獲信見敬大慶喜 …
今回は『御文』一帖目第十通で何故蓮如上人は敢えて「多屋の内方」に信心を得てほしいと願われたのかを考察した。
『唯信鈔文意』では、前回の復習と「自来迎」の「来」について親鸞聖人がどのように解釈しているかを見ました。前回と同様に、親鸞聖人は臨終来迎という通念を破り、弥陀の本願、自身の賜った信心の目線で解釈をなさっているのだということを皆で共有した。特に、「来」に「かえる」という意味があるという解釈の中で、「法性のみやこ」にかえる方向と、「生死海」にかえる方向があるという点に着目した。
次回は仏具のおみがきも行いますので、是非ともご参加ください。…

第8回目となる写教の会を開催しました。前回から本番の「書写 正信偈」を書き始めております。
正信偈の学びとして釈迦章の「譬如日光覆雲霧 …