今月は『唯信鈔文意』で「十方世界普流行」「但有称名皆得往」そして「観音勢至自来迎」の「観音勢至」について親鸞聖人がどのような注釈をしていなかの人々に伝えようとされているのかを見ました。内容が難しく、また難しいままにお参り下さった方にお伝えする形になってしまい反省をしております。諸仏が阿弥陀仏の御名を勧め行ぜしめたまうのは、ただ念仏のみが全ての衆生が大涅槃に至る仏道だからである。光は全ての衆生を、ただ念仏して阿弥陀仏に救われる身と照らし出し、光に照らされた者はその光に包まれ、ただ念仏という念仏往生の仏道を歩む。それを「流行」という言葉で親鸞聖人は確かめておられるのだと思います。

次回は「観音勢至自来迎」の「自来迎」について見ていきたいと思います。…

第4回目となる写教の会を久しぶりに開催しました。今回は弥陀章の最後になります「本願名号正定業 至心信楽願為因 成等覚証大涅槃 …

 3月は彼岸会法要、4月5月はコロナウイルス感染防止の為に休会したため、3カ月ぶりの御命日の集いとなりましたので、今回は去年の7月から始めた『唯信鈔』と『唯信鈔文意』の学びを振り返る回としました。『唯信鈔』・『唯信鈔文意』の学び言葉との出会いを通して、自らの信心や自らがあゆむ仏道が見えてくればと思っております。今回から、毎回お配りする資料をファイリングすることにしましたので、はじめてご参加頂く方には、それまでの資料をコピーしてお渡しいたします。

 久しぶりに御命日の集いを開くことが出来ましたが、お集り頂いた方の顔を直接見てお話できたことが何よりも嬉しかったです。

 後半は、仏具のおみがきを行いました。お集り頂いた皆様が一生懸命に磨いて下さったおかげで、とてもピカピカに綺麗になりました。ありがとうございました。名響寺では仏具のおみがきを毎年6月と12月の御命日の集いの中で行っております。次回は12月27日に行う予定でおりますので、是非ご参加ください。…

 名響寺春の彼岸会を勤修いたしました。

式次第 伽陀「先請弥陀」 …

第3回目となる写教の会を開催致しました。今回は十二光(無量光・無辺光・無碍光・無対光・炎王光・清浄光・歓喜光・智慧光・不断光・難思光・無称光・超日月光)の中から清浄光、歓喜光、智慧光、超日月光について確かめました。

途中からの参加も歓迎しておりますので、少しでも興味のある方はお気軽にお問い合わせください。

次回は4月12日(日)14時~になります。…

 今回は、聖覚が第十七願に着目したこと、またその第十七願において願われていることは何かについて見て行った。そして、法照禅師の『五会法事讃』の文を『唯信鈔文意』親鸞聖人がどのように領解されていたのかを見た。「如来尊号甚分明」の文では、名号について、名を因位の御名、号を果位の御名とされたのはどのような思いがあられたのか。そして「分」を「よろずの衆生ごとにとわかつこころなり。」といわれた真意を考えた。

 次回は、「十方世界普流行」の文意について見て行く。…

第2回目となる写教の会を開催致しました。最初に「正信偈」を書写する際の心得として、1文字1文字を丁寧にみつめていくことで改めてその文字が問いかけているを受け止める機会とするという確認をしました。また今回から、書写の前に合掌し皆で三帰依文を拝読し、会の最後に恩徳讃を唱和することに致しました。

途中からの参加も歓迎しておりますので、少しでも興味のある方はお気軽にお問い合わせください。

次回は3月8日(日)14時~になります。…

 今回は、なぜ南無阿弥陀仏と称えることのみが阿弥陀の願いにかなうのかというところを中心にみました。聖覚は、念仏往生が阿弥陀の願いにかなう証として『大無量寿経経』に説かれる、阿弥陀仏の因位である法蔵菩薩の物語を取り上げます。聖覚はその中で、法蔵菩薩が世自在王仏に清浄な国を建てたいという願いをおこされ、その願いに応えた世自在王仏が多くの諸仏国の様子を見せ、法蔵菩薩がその中から選び取られて建立されたのが阿弥陀の浄土であること。また、その清らかな国にどのような者も生まれさせて救いたいと誓われたことを確かめます。

 親孝行をしたり、大乗経典を読んだり、戒律を守り怠けずに修行をした者だけが浄土に生まれるというのは、そこに漏れてしまう者が必ず出てきてしまい阿弥陀の願いとは異なってしまいます。阿弥陀仏の願いは、どのような者も見捨てず嫌わず選ばずに浄土に生まれさせようというものです。南無阿弥陀仏と称えることは、いつでもどこでもだれでもできる易しい行です。その易しい行によってどのような者も阿弥陀の浄土に往生するのが浄土門の面目であり、南無阿弥陀仏と称えることのみが阿弥陀の願いにかなうのです。

 次回はこの続きに、第17願「諸仏称名の願」のことが語られますのでそれを見て、さらに法照禅師の『五会法事讃』の一節が引用されてますので、その漢文で書かれた文意を親鸞聖人の『唯信鈔文意』に聞いていきたいと思います …

第一回目となります、写教の会「正信偈」を開催致しました。最初ということで、正信偈のおおまかな内容構成を確認しました。その後50分程書写し、その後皆で正信偈をお勤めしました。

参加して頂いた方から難しいけれど集中できたというお声を頂けました。月に1度のペースで今後も開催していく予定ですのでお気軽にご参加ください。お問い合わせも随時受け付けております。

次回の開催は2020年2月9日14時~になります。…

本年もよろしくお願いいたします。

 今年の修正会は弧野秀存氏の「「行き詰まる」ことは尊いことです。」という言葉について考えました。元日に寺社仏閣に参詣するのは、この年が良い年でありますようにと神仏に祈願するためだと思われます。それは、自分の思う通りにいくこと、「行き詰まらない」ことを願っているのです。私自身も行き詰まる事無く生きて行ければと思いますし、なかなか「行き詰まる」ことが尊いとは思えません。しかし、「行き詰まる」ことで初めて私自身が自分勝手の思いで生きていたことを知り、行き詰まった自分を決して見捨てない阿弥陀仏の願いを感じることができるのではないでしょうか。そこに「行き詰まる」尊さがあるのだと思います。