今回は第五条の「供養ってなに?」について輪読しました。親鸞聖人の父母に対する供養の考え方を学ぶことで、私たちの考えている父母への供養の意識と、本当に父母を大事にするということはいかなることなのかを考えました。そして、念仏申すということも、阿弥陀さんのはたらきであることも確かめました。
 次回は5月1日(水)14時から開催いたします。
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 今回は六方段を受けて、改めてこの『阿弥陀経』は一切諸仏の護念が説かれている経典なのだと確かめ、阿弥陀の浄土に生まれたいと願い念仏申す者は、その一念定まるところに、往生もまた定まることが説かれているところを見ました。念仏申す者は、諸仏の証誠護念のはたらきを受け、真っ直ぐに往生浄土の仏道を退転することなくあゆむことができるのです。

 次回は5月13日(月)14時から開催いたしますので、お気軽にご参加ください。…

 今回は本願寺出版から初めて「永代経」の冊子が刊行されましたので、先ず真宗における永代経の願いについて確かめました。その後、自分の「宗」(ムネ・中心)を、南無阿弥陀仏と申して生きていくことの内実を、善導大師の「二河白道譬」について見ることを通して考えました。浄土に往生するというと死後の話ように思われるかもしれませんが、そうではなく、今、南無阿弥陀仏と申すところに汝と呼びかけ続けてくださっている弥陀に包まれ、きみ行きなさいという釈迦諸仏の声に励まされ、思い通りにならない世をしっかりと生きて行く勇気を賜るのが、念仏往生、浄土真宗の生き方であろうかといただかれます。

 当日は天候不順が予報される中、足をお運びいただき誠にありがとうございました。…

 今回は前回に引き続き「六方段」の後半部分について見ました。親鸞聖人が阿弥陀経は大信心海に帰せしめることを願いとしていると領解していることについて確かめました。
 次回は4月8日(月)14時からの開催を予定しております。お気軽にご参加ください。…

今回は『歎異抄』第四条について学びました。第四条では慈悲、慈愛ということが主に語られています。親鸞聖人は、聖道の慈悲と浄土の慈悲の具体相を説きながら、そこには「かわりめ」があるのだと教えてくださいます。その「かわりめ」とは、自分の起こす慈悲心、愛情の限界があると思い知らされる点です。私たちのたすけたいという思いは、自らが弥陀にたすけられる身となってはじめてすえとおるのでしょう。それは共に阿弥陀さんにたすけられる身であるという眼が開かれることかと思います。
 次回は4月3日(水)14時からとなります。第五条について一緒に輪読して学びましょう。…

 今回の『唯信鈔』では、前回に続いて四つの問答の内の三番目について見ました。そこで問題となっているのが、現生において五逆罪をつくっている念仏者が救われるのは宿善があるからであって、現生では五逆罪を犯してはいないが宿善の無い自分は浄土往生できないのではないかということです。つまり、宿善の有無によって浄土往生が定まるのではないかという問題です。この問題に対して聖覚は、現生に罪を犯さないことは宿善があることの表現であるといい、素晴らしい心はないが五逆罪を犯しておらず、今や阿弥陀仏の本願を深く信じて念仏申す姿が大事なのだと説き、宿善が無いと悩む者を諭しておられる。
 聖覚は五逆罪をつくっていない者を「われら」と呼んでいるが、親鸞聖人は殺生という罪を犯さざるを得ない者たちを「われら」と呼び、本願念仏を味わわれた。また、親鸞聖人は宿善というような宿世のことをほとんど語られなかったことについては改めて考えていきたい。
 3月は春の彼岸会がありますので、御命日の集いは休会になります。次回は4月27日になります。…

 今回は『仏説阿弥陀経』で「六方段」と呼ばれるところを見ました。その六方段では、東・南・西・北・下・上の六方各々の世界にたくさんの仏様がおられ、阿弥陀仏の不可思議の功徳を称讃しているということが説かれます。親鸞聖人は無数の諸仏のお仕事を『愚禿鈔』で、(かん)

 今回は『歎異抄』第三条について見ました。特に、世間の人々が考える善人と悪人と、親鸞聖人が語る善人と悪人の違いについて確かめました。武田先生は『なぜ?からはじまる歎異抄』の味わいのところで、「「悪人が救われる」のではなく、救われた人間の自覚が「悪人」だったのです。」とおさえてくださっています。そこに頷けるかどうかが第三条の肝だと思います。
 次回は3月6日(水)14時から開催いたします。一条づつ読み進めておりますので、初めての方もお気軽にご参加ください。…

 今日の『御文』(三帖目第五通)では、諸仏の願いに超えすぐれた大願が阿弥陀仏の誓願であるということの背景には、自身の愚かさと、実は阿弥陀如来の本願に十方衆生が出遇うことこそが諸仏の本当の願いがあるということを確かめた。
 その後の『唯信鈔』では、衆生の悪業と弥陀の願力のどちらが深重であるかを考えた時に、悪業の方がまさると考えて苦悩する者にたいして、聖覚が弥陀の願力のほうがまさるということを、現に人間界に生まれたことなどを通して明らかにしていくところを見ました。…

 今回は『阿弥陀経』の中で親鸞聖人が特に着目している、「執持名号」「一心不乱」といった言葉が出てくる箇所について学びました。「執持」という心堅牢にただ念仏申すという姿はとても素晴らしい姿ではあるが、多善根の念仏を一心不乱に極楽に生まれる為に、言い換えれば善根を積むような心から称える念仏を、親鸞聖人は自力の念仏と捉えました。ただ念仏の教えを通して、自身の信心について深く考えることが大切なのだと確かめました。
 次回は2月12日(月)14時から開催いたしますので、お気軽にご参加ください。…