前回で「正信偈」を一通りたずね終えたということで、本日からは『仏説阿弥陀経』の書写をしていきます。初回ということで、『阿弥陀経』について少し見ていきますと、真宗では浄土三部経と呼ばれる『大無量寿経』・『観無量寿経』、そしてこの『阿弥陀経』(『小経』)を具体的には言って、大事な聖典としております。親鸞聖人はその浄土三部経を『大無量寿経』を真実の教とし、『観無量寿経』と『阿弥陀経』は方便の教として見ておられます。方便というとつまらないものだと思われるかもしれませんが、方便はとても大事なのです。方便があってはじめて真実に触れるということがあるわけです。その方便の教である『仏説阿弥陀経』は「無問自説経」とも呼ばれます。経典の多くはその経典が説かれることになった背景、「発起序」というものが描かれます。例えば『観無量寿経』では王舎城の悲劇が描かれますが、経典が説かれるきっかけとなる大事な問いがこの『阿弥陀経』にはありません。釈尊が智慧第一の舎利弗に対して、舎利弗よ舎利弗よと言ってずっと語っていかれます。普通はどうですか?という問いに対して、釈尊がお答えになるという形ですが、舎利弗が問うことはありません。なので『無問自説経』と呼ばれます。
 この『無問自説経』ということを親鸞聖人は、釈尊の出世本懐の経だと押さえられます。出世本懐ということは、この経を説く為に釈尊はお生まれになったという意味です。それほどこの『阿弥陀経』は大事なことを語っているのです。ここにある「恒沙の諸仏の証護の正意」ということは追々尋ねていきますが、誰に向かってその本懐を語っているかを今日は注目します。
 釈尊が阿弥陀経を説かれた場所は「祇樹給孤獨園」です。祇園精舎という呼び名が有名ですが、祇園精舎というのは、須陀多という長者に護られている精舎で、須陀多は孤児や独老など身寄りのない、一人では食べていくこともできない人々に手を差し伸べた方で、釈尊が説かれた阿弥陀経は、辛い生活をされていた方も聞いていたでろうことが想われます。その証拠に、この祇園精舎に集った有名な菩薩様に加えて、「無量の諸天・大衆と倶なりき。」と敢えて言って、大衆という一般市民も一緒に教えを聞いていたと書いてあります。菩薩とともに多くの大衆が一緒に聞いている。つまり、釈尊は優秀な者だけでなく、むしろ俗世に苦しみ生きる者たちに向かってこの阿弥陀経を説いているのです。そのことが、出世本懐の経と親鸞聖人が捉えた一因でもあるように思います。…

今日の『御文』二帖目第十五通「九品長楽寺」

 この『御文』では、法然門下が様々な義を立て分かれていったというところから、始まります。例えば有名な知恩院は鎮西義と言って、念仏も諸行も大事だというようになっていきます。それがずっと今まで伝わっております。この前京都に団体参拝した時に、数名で知恩院にお参りしたのですが、その際にたまたま法要が執り行われていました。その儀式を見ると、やはりというか全く真宗とは違います。僧侶が功徳を回向するというのが感覚として伝わってきて不思議な気持ちになったことでした。法然門下では、様々な義が立てられたということですが、真宗ではそれが異安心ということで表に出てきます。それは、法然門下は皆さん学があったのです。頭が良く知識もあったのです。だから「義」ということでわかれる。親鸞聖人のお弟子さんは武士の方が多かったと言われておりますし、支えているのも農民などですので、義ということを立てて分かれていくということはなかったのではないかと思います。ですが、安心が異なるという形で、親鸞聖人の教えと離れていくという法然門下とは違うかたちで、教えが異なっていったように思います。それは、ちょうど前回見た秘事法門のようなことで、正定聚の教えをこの身このままで成仏するというように勝手に解釈していくというようになります。そこで、蓮如上人は、親鸞聖人の信心、安心ということを確かめるため、法然門下が分かれたことを外からとやかく言うのではなく、自身の信心をきちんと見つめなさいと言っているのがこの御文です。我が身という問題とその愚かな身を救うはたらきです。これは、蓮如上人が何度も何度も御門徒に伝えていることです。安心、信心の確かめです。
 少し話が飛ぶようですが、最近本派西本願寺の方で、この度の慶讃法要を縁に出された新たな領解文というものが大きな問題となっているようです。領解文、大谷派では改悔文と呼びますがこれは蓮如上人ご自身の信心を語っているもので、非常に大切な文なのですが、これを現代の人にもわかりやすくするために本派のご門主が作ったということです。自分もよく知らなかったのですが、実際に読んでみるとちらほら怪しい箇所が確かに出てまいります。少し調べたところによると、問題となっているのが「私の煩悩と仏のさとりは …

 今回は「正信偈」の最後、所謂「結勧」と呼ばれる「弘経大士宗師等 拯済無辺極濁悪 道俗時衆共同心 …

今日の『御文』(二帖目第十四通「秘事法門」)

 この『御文』では秘事法門という事が大きな問題として取り上げられております。越前の国は今でいう、福井と岐阜の辺りを言いますが、その辺りで秘事法門が流行っていたということです。秘事法門とはどのようなことを秘事として言っているかというと、例えば、不拝秘事は、「信心を得てからは、このわが身がもはや色も形もない無上仏になったので、絵像や木像は拝む必要はない。」という教えで、善知識だのみ(知識帰命)は「特定の人物を善知識と仰ぎ、善知識が現実に現れた如来であり、如来は具体的に善知識に代表されるとして、善知識をたのみ、善知識から信心が与えられるとする。」ものです。そして、一益法門は浄土真宗における利益は、現生において正定聚の位に入る益と当来における滅度の益との二益であるにもかかわらず、信の一念に正定聚の位につくのと同時に滅度の果を得るとする理解です。それらの秘事法門は現生、この身のままで覚りを開き仏になるということが言われてきます。
 『歎異抄』第十五条には「煩悩具足の身をもつて、すでにさとりをひらくといふこと。この条、もつてのほかのことに候ふ。」という批判があります。「私はすでにさとりをひらいた。」ということと、親鸞聖人が信心定まった時に正定聚という必ず仏になる身と定まるということの違いをどのように頷いていくかという問題があるかと思います。これは、信心を得る、真宗では度々信心を阿弥陀さんよりたまわるというように言いますが、信心を得たということは、「私はすでにさとりをひらきました。」「もう救われました」ということを言い切らせないところに真宗の信心の特徴があろうかと思います。つまり、信心を賜ったということは過去の経験ということではないのです。何かしらの通過儀礼をしたらもう大丈夫などというものではないのです。煩悩を断ち切れないという身の事実を外れないのです。煩悩を断ち切れない、その悲しい者を救おうと立ち上がったのが阿弥陀さんであり、その阿弥陀さんの誓い本願を信じる心を賜っていくところに阿弥陀さんを感じて生きていく。これが真宗門徒の姿であろうかと思います。…

 前回からいよいよ7高僧の最後になります源空上人すなわち法然上人のところに入っておりまして、法然上人の生い立ちや、法然上人が浄土門、専修念仏の一道に立つきっかけとなった善導大師の言葉を中心に前回は見ました。今日はその続きになります、「還来生死輪転家 決以疑情為所止 速入寂静無為楽 …

 今回から、七高僧の最後となります「源空章」に入りました。法然上人の伝記などを参照にその前半生の求道を見ました。法然上人は「智慧第一の法然房」と呼ばれたように、非常に優秀な方で、経典を読解し何度も読み返しておりましたが、自らが救われていくということがなかなかはっきりとしなかったのです。その法然上人を「本師源空明仏教」と親鸞聖人が讃えて、仏教を明らかにされたということは、法然上人ご自身が救われた道があったということです。それこそが、真宗の教えなのですが、法然上人は沢山の経典を読む中で善導大師の『観経疏』の一文に出会います。それが「一心にもつぱら弥陀の名号を念じて、行住坐臥時節の久近を問はず念々に捨てざるもの、これを正定の業と名づく。かの仏の願に順ずるがゆえに。」の一文です。この一文によって救いの道が明らかになったということがあるわけです。この一文によって、法然上人が救われていく道が開けたということは、単に法然上人一人の救いの道が開かれたということに止まらないで、全ての者の救いの道が明らかになったというのが、親鸞聖人の讃嘆の心かと思います。先程の「一心専念」の文の最後に彼の仏願に順じるとありますが、本願による救いが悪世という時代にひろまり、凡夫人という機に応じていく。法然上人が救われた教えは、個人の救いを超えて、凡夫という身、悪世という時を生きる者の救いであるという讃嘆が「本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人 真宗教証興片州 …

式次第

伽陀「先請弥陀」・『仏説阿弥陀経』・正信偈草四句目下・念仏讃淘三・和讃弥陀成仏のこのかたは飛び三首・回向「願以此功徳」・『御文』五帖目第二通「八万の法蔵」

法話…

前回から源信章に入りましたので、その続きとなる「極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 …

今日の『御文』二帖目第十三通「御袖」

 この御文では言葉自体は出てきませんが「自信教人信」ということがキーワードになろうかと思います。自信というのは、真宗の教え、弥陀の本願を自ら信じるということです。そして教人信というのは、自らが信じた教えを他者に伝えて信ぜしめるということです。前回の『御文』で出た言葉でいえば「自行化他」ということです。布教伝導ということを真宗では他宗派や新興宗教と比べると、あまり活発に行っていない印象を受けるかと思いますが、その質が違うのですね。他宗派の多くは、自分はわかっている立場に立って、わかっていない立場の人に向かって教えを説き導くというようになっていると思います。今この『御文』で問題として取り上げられているのが、他宗や世間に対して教えをふりまわすことが浄土真宗のためになっていると考えです。真宗の教えでなければ救われないのだから、それ以外の宗教を信じている人や教えを知らない人にそれを伝えることはいいことをしているという意識ですね。これは違いますよと蓮如上人は諫めるわけです。真宗の教えは、導くのは釈迦弥陀の二尊であり、私たちは共に聞いて行く存在であると。自信ということも、教人信ということも、自分のはからいを超えているのだということです。そんなのでは頼りないと思われる人もいるかも知れませんが、共に念仏申すことを大事にしてきた歴史があるのです。そこを中心にこれからも教化ということがなされていくのだと思います。

『唯信鈔』…

今回から三国七高僧の6番目に当たります、日本の源信僧都を讃える源信章に入りました。先ず源信僧都について見ますと、源信僧都は7歳の時にお父さんを亡くしておられます。
そして9歳の頃から師匠の良源の元で仏教を学び、13歳で出家して比叡山に上っておられます。そして、15歳の頃には時の天皇村上天皇に『法華経』を講じるほど優秀な方でありました。

この天皇に講義をした時に褒美として紫の衣や豪華な布施の物を沢山いただき、それをお母さんに送った時のエピソードが伝記として残っております。…