今回の『御文』は「人間五十年」と呼ばれます。人間五十年と聞くと歴史が好きな方は織田信長を思い出すのではないかと思います。織田信長が今川義元の軍勢を破った桶狭間の戦いや本能寺で焼き討ちに遭い最後に舞ったのが、幸若舞「敦盛」の「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」という一節です。これはかつて平敦盛を手に賭けた熊谷直実が出家をする場面、つまり仏道を歩むと決心した場面なのです。「人間五十年」とありますが、これは寿命のことを言っているわけではありません。そうではなくて、人間の50年という時の長さは、仏の世界では一昼夜の長さということを言おうとしているのです。今、蓮如上人もこの『敦盛』の一節からこの御文を書かれたと思われます。このような無常という所に立っているのが仏弟子なのです。これは宗派関係なくそうなのです。無常という所に目覚めて、そこを離れずに生きていく者です。それなのに、蓮如上人から坊主たちをみると徒に時間を使い、真剣に仏道を歩んでいるようには見えなかったのでしょう。厳しく諫め、仏法のことは急げ急げと促して下さっているのです。

そして、『唯信鈔文意』では今回は前回出てきた「横超の信心」ということを、親鸞聖人が『大経』の言葉に触れてその領解を語るところを見ました。そこでは、世親菩薩がその信心を「願作仏心」と名付けているのだと。これはどういう心かというと、仏に成ろうと願う心であり、それは、そのまま全ての衆生をして迷いの大海を渡らせようとする心「度衆生心」であるのだと。この願作仏心はすなわち度衆生心だと言ったのは曇鸞大師なのですが、曇鸞大師はいずれの心も衆生が起こすものだと捉えています。しかし、親鸞聖人は、自分が起こしたものではなく、阿弥陀さんのはたらきによって起こった心なのだと教えて下さっています。

次回は、今回の最後に触れた「難信」という課題を改めて考えていきたいと思います。…

前回、善導大師は、仏陀の心は「本為凡夫・兼為聖人」なのだと、教えの通りに生きられない凡夫をこそ救うという大悲の心なのだ、その大悲の心から起こされたのが本願だということを顕かにしてくださったことをみました。その本願の海に入る、身を浸かるということは、金剛の信心を賜ることなのだということからが今日のところになります。「行者正受金剛心 慶喜一念相応後 与韋提等獲三忍 …

 

今年2023年は親鸞聖人御誕生850年、立教開宗800年の慶讃法要が本山で勤まります。慶讃法要では「南無阿弥陀仏-人と生まれたことの意味をたずねていこう―」というテーマが掲げられております。最初に「南無阿弥陀仏」、という六字の言葉があります。先月の掲示板には「人は言葉で迷い、言葉で目覚める存在」という事を書きましたが、この六字は人間を迷わせる言葉であろうか、それとも目覚めさせる言葉であろうか。そのような事を少し考えるわけです。

私たちの口から言葉が出る。それを口業といいます。身・口・意の三業という事を仏教ではいいます。身体の行い、言葉の行い、心の行いです。この三業に関わって、十悪業と言う事が教えられておりますが、それは、貪・瞋・痴・悪口・両舌・綺語・妄語・邪淫・偸盗・殺生です。これが十悪業で、これの頭に不を付けると十善業となります。貪欲・瞋恚・愚痴というのは意業、心の問題で、邪淫・偸盗・殺生は身体の問題です。そして、間の4つが言葉の問題なのです。言葉の問題が一番多いというのが面白いといいますか、興味深いところだと思います。簡単に見ていきますと、悪口と書いてあっくと読みますが、これは文字通り悪意を持って人を傷つけて人を悲しませていく。言葉というのは時に人間を殺しうることもあるわけです。次の両舌というのは、人間関係を断ち切っていくような言葉です。次の綺語というのは、言葉の持っている意味がはたらいていない言葉です。最後に妄語というのは嘘のことを言うともいわれますが、人の生きる力、意欲を奪い取るような、なにか生きているのがいやになったという思いを抱かせるような言葉が妄語になります。この妄語に対する言葉が正語ですが、それは単に正しいという事ではなく、生きていく力、勇気というものを呼び覚ますような言葉です。そこには温かい心、響きというものが伝わってくるのです。悪と呼ばれる口業には共通して、言葉を通して他を傷つけていく、迷わせていくということが言えるかと思います。では、南無阿弥陀仏は人を迷わせる言葉なのか、目覚ましめる言葉なのか。そのことをもう一つ別の角度から言葉ということで見てみますと、『勝鬘経』という経典がありまして、その中に勝鬘夫人の御両親が釈尊の説法を聞いて、その感動を手紙に書いて、娘の勝鬘夫人の所へ書き送られた。そうしたら勝鬘夫人はそのお手紙を読んで「我、今仏の御声を聞くに」と言うのです。この場面を聖徳太子は『勝鬘経義疏』で、勝鬘夫人はただ手紙を読んだだけであろう。手紙を読んだだけの夫人がなぜ「仏の御声を聞くに」というのかという所を注意されて、「書は以て声を伝え、声は以て意を伝う。」と言います。書というのは、文字です。文字は声を伝えているのだと。これは、私たちは様々な言葉や物語に触れるのですが、その言葉、文字が声のように響いてくる。本当にその言葉と出会ったという時には声を聞くことなのだと。そして、その声はその文字に込められている心を感じさせるというのです。今この六字の南無阿弥陀仏という言葉も、声となって自分に響いているか。その事が問われるわけです。皆さまどうでしょうか。南無阿弥陀仏が仏の呼び声として響いているでしょうか。声として響いてくれば、その心が伝わってくるのです。その心は、私たちを決して見捨てないという温かい心ですね。南無阿弥陀仏がただの言葉としてある時には、人を迷わせる言葉ともなるかも知れません。しかし、南無阿弥陀仏の文字から、響きを感じ、慈悲の心を感じるならば、それは目覚めさせる言葉となるのではないかと思います。阿弥陀さんの慈悲の中にいるという目覚めですね。今年も南無阿弥陀仏と称える事を通して、阿弥陀さんの御心を感じて生きていきたいと一年の始まりに思うことです。…

今月の『御文』(二帖目第十一通)で大きな問題として取り上げられている「善知識だのみ」という問題を見ていきました。善知識だのみとは、阿弥陀さんよりも自分の師匠、善知識を本としていく、善知識ばかりを頼んでいくあり方です。そのような善知識だのみに対して蓮如上人は、善知識というのは阿弥陀さんに一心一向に帰依せよと勧めて下さる存在、そういうはたらきを善知識というのだと伝えてくれております。これはいつの時代も問題としてあるのではないかと思います。教えを説き、自らの歩む道を照らしてくれる身近な存在が自分にとって大きくなっていくのは仕方がないことだと思います。例えばほとんどの新興宗教は教え導く存在に帰依することが求められるわけですが、自分にとって大きな存在に帰依するというのはある意味で簡単といいますか、それだけでいいというと語弊があるかも知れませんが、とにかく身近な師に帰依していく。そこで止まってしまうことを問題としているわけです。これは、帰依する者だけでなく、その師、善知識にも問題があるわけです。弥陀に帰依することを勧めるのが本来のはたらきであるのに、それがそうなっていない。立ち止まらせているわけですから。先月、報恩講が本山で1週間かけて勤まりましたが、私たちが親鸞聖人をどのように見ていくのかとも重なりますし、親鸞聖人はどのように御門徒と接していかれたのかということです。親鸞聖人と御門徒の関わりを改めてみますと、親鸞聖人の遺言だと伝えられている言葉があります。『ご臨末の御書』に「一人居て喜ばば二人と思うべし、二人居て喜ばば三人と思うべし、その一人は親鸞なり。」と親鸞聖人はおっしゃったと伝わっております。これは本当は親鸞聖人は言っていないという事もいわれますが、御門徒の中の親鸞聖人ということでしょう。親鸞聖人という方は共に喜んでくださる存在だということです。もう一つみてみますと、一帖目第一通の『御文』には、親鸞聖人は御同朋御同行とかしづく交流をしていたのだと書かれています。上にたつのではなく、共に阿弥陀さんに救われていく存在だということですね。このあたりのことは真宗を学んでいく姿としてとても大切なことだと思います。善知識をどのように仰いでいくのか、偉大な人とみていくのか、御同行とみていくのか。翻って善知識と言われるものは御門徒をどのようにみていくのか。このことが、今日の御文から問われているように思います。

その後、お集まりいただいた皆様と仏具のおみがきをしました。お陰様でとてもきれいになり、修正会を厳修することができます。本当にありがとうございました。

修正会は、1月1日(日)11時からですので、是非ともお参りください。…

今日から善導章に入りました。普段お勤めする正信偈ですとここから調子が変わります。その「善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪 光明名号顕因縁 …

来春に親鸞聖人御誕生850年、立教開宗800年の慶讃法要が厳修されます。そこで、来年2月まで御命日の集いの中でお勤めの練習をやってまいります。今月は念仏讃の初重について息継ぎのタイミングを中心に練習しました。12月は二重、1月は三重、2月は回向文とまとめという流れでやっていきたいと思います。

今月の『御文』は「仏凡一体」ということが大きなテーマとなっている御文です。御文でどのように説かれているかを見ますと、「すでに行者のわろきこころを、如来のよき御こころとおなじものになしたまうなり。このいわれをもって仏心と凡心と一体なるといえるはこのこころなり。」とあります。念仏者と阿弥陀さんの心が同じものになる。これはどういうことなのでしょうか。わろき心というのは、縁によって様々な感情が出てきて自他ともに傷つけていく心、善悪のはからいでもって全てを捉えていく心と考えられます。そして、阿弥陀さんのよき御心というのは、そのようなものをこそたすけたいという慈悲の心でしょう。そのわろき心とよきこころがおなじものになる。これは、善悪で述べられているので対比のように見えてしまいますが、仏心凡心は比べられるようなものではありません。思うに、南無阿弥陀仏と念仏申すところで阿弥陀さんの心に触れて、わろき心の自覚を持ち、阿弥陀さんの心をよき心と仰いでいく。わろき心とよきこころが南無阿弥陀仏をとおして通じていく。そのようなことが思われます。似たようなことで「生死即涅槃」ということがありますが、迷いが「即」涅槃なのだと。これも念仏者の頷きではありますが、念仏者のはからいではなく、阿弥陀さんのはたらきを受けてはじめて「即」ということが言えるのだと思います。今、蓮如上人は「おなじ」ということで仏心凡心一体の内実を、「これによりて、弥陀如来の遍照の光明のなかにおさめとられまいらせて、一期のあいだはこの光明のうちにすむ身なりとおもうべし。」と語ります。これが、とても大事なところです。一期のあいだ、つまり一生涯阿弥陀さんの心のなかに生きるということが、仏心凡心が一体であるということなのです。わろき心がよき心と同じになって立派な者になるとかそういう話をしているわけでは決してないのです。阿弥陀さんの光明のなかに住む身として生きていく。ここに人と生まれた喜びというものがあるのではないかと思います。

そして『唯信鈔文意』では『法事讃』の「随縁雑善恐難生」「故使如来選要法」について見ました。「随縁雑善恐難生」の所で親鸞聖人は、随縁雑善という言葉を、自力の善根を修め、その功徳を極楽浄土の生まれるために回向する姿だと言います。いわゆる自力回向、こちらから浄土へという方向性のあゆみと見ます。そしてそれらは8万4千の法門なのだと親鸞聖人はいいます。そのような自力の善根をたのみとするようでは、平等の真実報土へは生まれることが出来ないのですよといなかの人々に伝えているわけです。「きらわるる」という表現もありますが、親鸞聖人はたまにこの「嫌う」という言葉をよくお使いになります。阿弥陀さんのこころに適わないということですね。この8万4千というのに対して、真宗の教えは「門余の仏道」であると親鸞聖人は説かれます。8万4千の教えとは質が違う。こちらの能力条件を一切問わない、仏からの仏道なのだというのです。だから平等ということが言えるのだというのが、親鸞聖人のいただきです。…

今日は「三不三信誨慇懃 像末法滅同悲引 一生造悪値弘誓 …

式次第 正信偈草四句目下 念仏讃淘三 …

今日から道綽章に入りました。最初に道綽禅師について確認しました。道綽禅師が生きられたのは562年~645年です。道綽禅師は14歳で生活のために出家しますが、廃仏毀釈政策によって16歳で還俗させられます。その後隋の時代になり21歳でまた出家をします。それから道綽禅師は『涅槃経』を熱心に学ばれます。『涅槃経』を何回も講義をするほどにまでなりますが、自分の中ではっきりしないものがあったようです。それが、たまたまかつて曇鸞大師が住まわれた玄忠寺を訪れた際に曇鸞大師の生涯を記した石碑の文を見て浄土の教えに帰したと伝わっております。

そして浄土の教えに帰して著したのが『安楽集』です。『安楽集』の書き出しで、教・時・機とが相応しなければ修道に功がないのだと語られます。この『安楽集』は親鸞聖人がこの正信偈でも和讃でも讃えておられるように聖道門は覚り難い。ただ浄土門のみが自分が救われていく道だということを明かしているのですが、その決め手となったのが時機の自覚です。『安楽集』に「大聖遥遠」という言葉と「理深解微」という言葉が出てまいります。最初が「時」の自覚でこの世は末法なのだという自覚です。教行証の中で教えのみがある時代です。そして次の言葉が「機」の自覚です。機というのは仏教では人間を指す言葉ですが、特に道を求める人間です。人間が仏教の深い真理を理解する力がまことにわずかであるという自覚です。この時機、末法の世を生き愚かであるこの身に相応する教えは浄土門しかないのだ。こういう決着が道綽禅師にはあり、そこに立脚しておられるのです。そのことを親鸞聖人は「道綽決聖道難証 唯明浄土可通入」と讃えておられるのです。…

今年の秋の彼岸会では『歎異抄』第二条において語られる、いなかの人々が身命を顧みず「往生極楽の道」を問い聞こうとする思いに「地獄は一定すみかぞかし」と応える親鸞聖人の言葉について考えていきました。

親鸞聖人は関東の草庵でも「ただ念仏して弥陀にたすけられて往生する」ということを伝えておられました。それなのに、改めて「往生極楽の道を問い聞」くために身命を顧みずに訪れたということは、いなかの人々がただ念仏に満足できないというか、ただ念仏申すだけで本当に極楽浄土に往生できるのであろうかという不安を感じていたことを親鸞聖人は見抜かれたのだと思います。その思いを見抜いたうえで、改めて私親鸞においては「ただ念仏」の教えしか伝えることはないのですよと言い、さらには「地獄は一定すみかぞかし」とまで言い切るのです。いなかの人々が往生極楽の道を聞きたいという心の裏には地獄におちたくないという思いがあったでしょうから、さぞかし驚かれたであろうと想像されます。

地獄について考察しながら、どういう思いで親鸞聖人が「地獄は一定すみかぞかし」と言い切られたかについて以下のように考えていきました。親鸞聖人が、「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」という法然上人を受けて「地獄は一定すみかぞかし」と語るところには、地獄の苦しみを離れて安らかな極楽浄土に生まれるというような仏道ではなく、阿弥陀さんの智慧と慈悲のはたらきを受けて地獄の苦しみを生き抜いていける仏道ということをいなかの人々に伝えたい思いがあったのではないかと思います。地獄に行くのはいやだ、この世の苦しみから離れたいという要求思いがあって、苦しみのない所を願うのは自然のことだと思います。『観無量寿経』で、息子が夫を殺し、自分までも殺そうとする縁にあった韋提希夫人がお釈迦様に愚痴をこぼし「広く憂悩なきところ」を願うのと同じ感覚です。しかし、その感覚では極楽浄土は自分が勝手に思い描く理想郷になってしまいます。阿弥陀の浄土は理想郷ではないですね。彼岸というのは浄土、そして此岸というのはこの世界を言うわけですが、それが単に極楽と呼ばれるような苦しみのない世界と、娑婆世界と呼ばれる耐え忍ぶ世界ということで話をしているのとは違うのだということです。往生極楽の道というのは、苦しみのない道ではないですし、ただ念仏の教えは極楽に往生する手段方法でもないというのが、真宗の教えだと思います。縁によって様々な苦楽に遇っていきますが、その全てに阿弥陀さんの慈悲、支え救けを感じて生きていく。それが「地獄は一定すみかぞかし」という言葉に覚悟としてあらわれているのではないかと思います。…