1月行事予定
※コロナウイルスの感染拡大により行事が中止となる可能性がございます。その時はホームページでお知らせさせていただきます。 ※行事に関しまして気になる点等がございましたらお問い合わせください。
1月1日(土)10時~ …
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今回は「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」の特に「称」に注目して見ていきました。
この「称」という字について親鸞聖人は「称は、はかりというこころなり。はかりというは、もののほどをさだむることなり。名号を称すること、とこえ、ひとこえ、きくひと、うたがうこころ、一念もなければ、実報土へうまるともうすこころなり。」と解釈されます。この称という字は称えるという阿弥陀さんの願いを讃嘆するという意味もありますが、秤という意味もあるのです。阿弥陀さんの念仏申す者は必ず阿弥陀の浄土に生まれさせよう、つまり私に念仏申す身になってほしいという願いが片方。その願いに応えて念仏申す身になった自身がもう片方。その二つがぴったり同じになったということを「称」の字は表しているのだと。しかし、ここに「うたがうこころ一念もなければ」とあります。南無阿弥陀仏と念仏申す私に疑いの心があればピタッと同じにならないのです。では疑いの心がありピタッと同じにならなければどうなるかというのが、方便化土、辺地に生まれるのです。実はここが真宗、親鸞聖人の教えの大事なところなのです。南無阿弥陀仏と念仏申す縁に会いながら、他力をたのむこころが欠けているのではないか。この事を問い、確かめていくあゆみが真宗の学びなのです。…

4ヶ月ぶりに親鸞聖人御命日の集いを開催することができました。
今回の『御文』(2帖目第1通)は「お浚えの御文」と呼ばれておりまして、報恩講の翌朝に拝読される『御文』になります。見事なタイミングでこの『御文』について学ぶことができました。「細々に信心の溝を浚えて」そこに「弥陀の法水を流せ」ということの意味と、この『御文』の最後に語られる「称名念仏は、弥陀如来の我らが往生をやすくさだめ給える、その御うれしさの御恩を、報じたてまつる念仏なりと、こころうべきものなり。」という教えについてたずねました。
『唯信鈔文意』では、『五会法事讃』の文の「不簡貧窮将富貴 …

今回は「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定」について特に憶念の語に着目して見ました。
「阿弥陀仏の本願を憶念する」とあります。念仏申す者をおさめとって決して見捨てない願いを憶念する。憶念というのは「深く思う」ということですが、「憶」の字に「恒に意の中にあると」いう意味があります。親鸞聖人はこの憶念をどのように押さえておられるかと言いますと、真実信心として押さえておられるのです。『顕浄土真実教行信証文類』には「淳心すなわちこれ憶念なり。憶念すなわちこれ真実一心なり。」とあります。淳心というのは、混じりけのない心ということです。混じりけが有るとは簡単にいえば人間の思いはからいが混じってくることを言うのです。特に言われるのが名利心と罪福信です。これらが混じることがないというのは敢えて言えば仏のお心、阿弥陀仏の大慈悲心ということです。憶念というと、自分が深く思うということですが、単に私が阿弥陀仏の本願を深く思うというよりも、おさめとって決して見捨てないという願いが私一人にかけられていることを思うと言ったほうが親鸞聖人の意に適うのではないかと思います。私のために本願を建てて下さった、つねにものうき事無く私を心配しておられる阿弥陀仏の大悲心を思うということです。…

式次第 正信偈草四句目下 念仏讃淘三 …

緊急事態宣言があけましたので、久しぶりに写教の会を開催することができました。
本日は、前回は「宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽 …

緊急事態宣言が延長されたことを受け、名響寺秋の彼岸会は内勤めにて厳修させていただきました。こちらに彼岸会によせた文章を載せますのでご一読いただければと思います。
皆さまはコロナウイルスワクチンを接種されたでしょうか?先日、日本人の半分以上が二回目の接種を終えたという報道を耳にしましたが、その中でワクチン接種をした方はホテルに割安で宿泊ができるということも伝えていました。日本ではまだ企業だけのことですが、ワクチン接種者への優遇が始まっています。海外に目を向けると、いわゆるワクチンパスポートというものをめぐる議論が盛んに行われているようです。例えば、ニューヨークやハワイでは実際に政策としてワクチンパスポートが導入された一方で、フランスではワクチンパスポートは差別につながるとしてデモがおこっていました。ワクチン接種の強制、或いはワクチン接種をしない人はおかしいという偏見が助長される恐れのあるワクチンパスポートは日本でも今後議論がなされると思います。このワクチンパスポートをめぐる差別の議論、あるいは、昨年から続くヘイトクライムのニュース映像を見ると、コロナウイルスというのは人間が持つ「差別性」を露わにしたウイルスでもあると言えるのではないかと思います。
ウイルスと差別という事でハンセン病が思い起こされます。私は以前東京都東村山市にある多摩全生園、国立ハンセン病資料館に伺ったことがあるのですが、その際に差別偏見の恐ろしさや惨さを感じました。このハンセン病は様々な呼ばれ方をするのですが、その中に「業病」という呼び名があります。これは、ハンセン病に罹ったのは前世に悪い行いをした報いだという、因果の道理を説く仏教の思想から出てきた呼び名なのです。仏道をあゆみハンセン病の症状と差別に苦しむ人々と共に生きようとする者が、逆に手を離してしまったことを物語る呼び名が「業病」です。真宗でも『歎異抄』第十三条に「宿業」という言葉が出てきますが、それを他者に向かって言い放つとき、それは鋭利な刃物となり相手を深く傷つけるのでしょう。本来「宿業」という言葉は、外への言葉ではなく、自らの内なるところで頷いていく言葉なのです。阿弥陀仏の光が苦悩の身を照らしてくださり、照らしてくださったことのうえに阿弥陀仏の大慈悲の心を感じて生きていく、自らの業というものを引き受けていくという力強い言葉なのです。人は誰にも代わってもらうことのできない苦しみ、悲しみに縁によってあっていかなくてはなりません。『歎異抄』は親鸞聖人が阿弥陀仏の慈悲を身に受けたことを「そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と述懐した言葉を私たちに残してくださっています。宿業の身を生き抜いていく姿がここにあります。彼岸会を縁にあらためて阿弥陀仏の大慈悲を念仏申すことを通して感じていきたいと思います。…
