エントリー - 名響寺

2月28日 写教の会を開催しました

今回は「依修多羅顕真実 光闡横超大誓願」について見ました。「依」という事について、曇鸞大師は、「何所依・何故依・如何依」という三依ということを言っております。あなたは、いったいどこに依って人生を生きていこうとしているのか、なぜそれに依るのか、どのように依るのか、ということです。それがはっきりする事によってこの人生を生き抜き亡くなって行けるのだということです。

それは「依修多羅顕真実」ですので修多羅に依るのだと。修多羅とはサンスクリット語のスートラの音写になります。意味は経典です。その修多羅とは、ここでは直接的には『大無量寿経』を言っているわけです。『大無量寿経』が顕かにした真実に依るのだと。三依で言えば、どこに依って生きていくかといえば、『大無量寿経』が顕す真実に依るのだということです。どうしてそれに依るのかといえば、それが私一人を救うために阿弥陀さんが慈悲心でもって本願を建てられたからだと。そして、どのように依るかといえば、阿弥陀さんの南無阿弥陀仏と念仏申す者を決して見捨てないという願いを信じて念仏申すということになります。…

2月27日 親鸞聖人御命日の集いを開催しました

先ずロシアのウクライナ侵攻を受けて、自分が考えることをお伝えしました。そして今月の『御文』では、「超世の本願」に出てくるような問いの大切さを確かめました。『唯信鈔文意』では、前回課題として残っていた、『涅槃経』に説かれる六師外道の話と月愛三昧の話を見ることで、慚愧の心の大切さ、自己の正当化では救われがたい事実、釈尊が観ておられた善心等について考えました。

次回は4月27日と少し間があいてしまいますが、『唯信鈔文意』の言葉に戻って「回心」「変成」などとても大事な言葉が続くところを読んでいきたいと思います。…

写教の会開催延期について

写教の会を2月14日(月)14時~開催を予定しておりましたが積雪の予報が出ているために開催を、

2月28日(月)14時~

に延期させていただきます。何卒よろしくお願い申し上げます。…

2月行事予定

※コロナウイルスの感染拡大により「緊急事態宣言」が発令された場合は、写教の会とご命日の集いは休会とさせていただきます。また、その他の会の開催につきましては随時ホームページでお知らせさせていただきます。

※行事に関しまして気になる点等がございましたらお気軽にお問い合わせください。

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1月27日 親鸞聖人御命日の集いを開催しました

今回の『御文』(二帖目第三通)でも神明を軽んじる問題が取り上げられております。その中で本地垂迹説ということが出てきたので、本地垂迹説という論理と、親鸞聖人が廃仏派の物部守屋について謳った「弓削の守屋の大連 邪見きわまりなきゆえに よろずのものをすすめんと …

1月17日 写教の会を開催しました

今回から天親章に入っていきます。「天親菩薩造説 帰命無碍光如来」の一句について見ました。天親菩薩その人と天親菩薩が著した『浄土論』を通して親鸞聖人が『大無量寿経』の精神に触れたという事を確かめた。そして、帰命十方無碍光如来という『浄土論』の言葉を通して、尽十方にして無碍なる光が届くのはこの私なのだということを尋ねました。

次回は2月14日(月)14時~になります。少しでも写教にご興味がございましたらお問い合わせください。…

1月1日 修正会を厳修いたしました

2023年は親鸞聖人御誕生850年、立教開宗800年の慶讃法要が本山で勤まります。その慶讃法要のテーマというのが「南無阿弥陀仏―人と生まれた意義をたずねていこう―」というものであります。今年の修正会では、慶讃テーマの「生まれた」という事に着目して、両親の元「人間」として生まれたことを仏教ではどのように捉えているのか、また、釈迦弥陀の慈悲によって「信心の行者」として誕生した者の営みという事を考えるなかで、阿弥陀さんと共に生きるという事をたしかめさせていただきました。

本年も名響寺に集い共に阿弥陀さんの願いを聞いて参りましょう。よろしくお願い申し上げます。…

12月27日 親鸞聖人御命日の集いを開催しました

今回は、私が今月の8日9日で本山にお参りした時の事を話した後、『御文』で蓮如上人が「他宗を謗ること、諸神を軽んじること」を厳しく戒めておられることに着目して、諸神をたのむ「こころ」が問題なのだということを確かめました。

15時からは、仏具のおみがきをお集まりいただいた方と行いました。おかげさまでとても綺麗になりました。お手伝いいただきまして感謝申し上げます。仏具のおみがきは年に2度、6月と12月に行っておりますので、是非またご参加くださいませ。…

1月行事予定

※コロナウイルスの感染拡大により行事が中止となる可能性がございます。その時はホームページでお知らせさせていただきます。 ※行事に関しまして気になる点等がございましたらお問い合わせください。

1月1日(土)10時~ …

12月15日 写教の会を開催しました

今回は「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」の特に「称」に注目して見ていきました。

この「称」という字について親鸞聖人は「称は、はかりというこころなり。はかりというは、もののほどをさだむることなり。名号を称すること、とこえ、ひとこえ、きくひと、うたがうこころ、一念もなければ、実報土へうまるともうすこころなり。」と解釈されます。この称という字は称えるという阿弥陀さんの願いを讃嘆するという意味もありますが、秤という意味もあるのです。阿弥陀さんの念仏申す者は必ず阿弥陀の浄土に生まれさせよう、つまり私に念仏申す身になってほしいという願いが片方。その願いに応えて念仏申す身になった自身がもう片方。その二つがぴったり同じになったということを「称」の字は表しているのだと。しかし、ここに「うたがうこころ一念もなければ」とあります。南無阿弥陀仏と念仏申す私に疑いの心があればピタッと同じにならないのです。では疑いの心がありピタッと同じにならなければどうなるかというのが、方便化土、辺地に生まれるのです。実はここが真宗、親鸞聖人の教えの大事なところなのです。南無阿弥陀仏と念仏申す縁に会いながら、他力をたのむこころが欠けているのではないか。この事を問い、確かめていくあゆみが真宗の学びなのです。…